スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

不確実な未来

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 カルラは以下のように言った。「助からない確率が50000%」の滅亡が訪れたとしても「助かるかもしれない」と思って不安や恐怖を感じるのは、未来というものが変化していくものだからだろう……どんなに強大で恐ろしいものでも、偶然なんとかなるかもしれない……そういう不確実性が滅亡には漂っている。たしかにそうかもしれない。



 たとえば、毎日宇宙で隕石がびゅんびゅん飛んでいるけど、大きいものはあまり地球にぶつからない。しかし、もし当たると地球の終わりだ。これも「発生確率が低く、助からない確率は高い」ものだと言える。



 シフトは「ステップ」という言葉を使って意見していた。滅亡や災厄にはそれぞれ「発生/不発」とか「膨張/収縮」とか「直撃/回避」とか多段階のステップがあって、だから途中のステップで止まったりするものもある。だからスノードームの傷も、大きな亀裂にならないかもしれないし、大寒波も少し寒いぐらいで終わるかもしれない、という考えだ。



 滅亡というものについては、色んな考え方ができるし、色んな側面から色んな枠組みでとらえることができそうだ。いずれにしてもみんな、「まったく滅亡のことを気にせず生きる」ということは難しいんじゃないかという意見は一致した。そしてそれは、滅亡に限らず、未来というものの不確実性に振り回されるのを防ぐことは難しい、ということだと思う。雨が続けば川から離れる、取った木の実を隠しておく、外が明るくなるまで洞窟から出ない……動物の行動にも将来的な不安を動機にしたものは多いように感じる。



 さて、気が付けば、あっという間に10日ほどが経っていた。不確実な未来に振り回されていたのだとしても、みんなで話していくのは、うれしさのある時間だった。正体の分からなかったテーマが一部分だけでも解体されていって、そのテーマに対して自分が持っていた印象や気持ちについて分かってくる。



 10日ほど経ったと気付いたのは、店に学生が来たからだった。いつも学生たちは1か月に1回か2回しか来ないので、「ああ、もうそんなに日数が経ったんだ」と気付いた。傘の学生と帽子の学生のうち、帽子のほうだけが一人で来ていた。



 帽子の学生は黙々と、無駄のない感じの動きで印刷作業をしていた。1枚印刷し、コピー機が作動している間に次の紙を準備して、という風に繰り返している。サバイバルクラブの冊子を作るために、文章や図表を複製していた。一定のテンポで紙を順番にコピーしたあと、次に、拡大縮小を伴う印刷を落ち着いて数枚済ませ、終わらせた。



 学生たちは、以下のように冊子を作っていた。まず、紙にペンで文章を書いたり、引用したい雑誌や新聞の記事を集める。そういう色んなパーツ(素材)が、冊子のページに収まるように配置を考える。うまく配置するために拡大縮小する必要があるパーツについては、どれぐらいの倍率で拡縮すればいいかを計算する。そして真っ白なページに、準備したパーツを切って並べて貼っていく。それを原稿として、ページ順に両面コピーして、中綴じして冊子にする。2つに折った紙が重ねられていて、折ったところがステープラーの針で固定されているのが完成した状態だ。