人間味 小さな奇跡を生み出した料理人たち / 山本益博

一皿の料理が、それまでの常識を変えてしまうことがある。 その奇跡はたいてい、空から降ってくるものではなく、職人の日々の仕事をささえる「足もと」から生まれるのかもしれない。 指折りの高級レストランから、隠れた庶民の名店まで。 美味しいものを届けたいという思いと愚直に向きあう職人たちを追う。

オリジナルが生み出す「祝祭料理」―渡真利泰洋

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宮古島から届いたメール

 2018年の秋、私のパソコンに1通のメールが舞い込んできた。沖縄・宮古の「紺碧リゾート」の支配人からのメールだった。

 山本 益博 様
 突然のご連絡、誠に申し訳ございません。
 沖縄県宮古島の更に離島の伊良部島にございます、ホテル「紺碧ザ・ヴィラオールスイート」の高里 照大と申します。

 弊社ホテルは8ルームしかなく、全室ヴィラタイプでプール、ガゼボ(東屋)付のオールスイートになっており、大人のプライベートを重視したコンセプトで運営しております。(13歳以下は宿泊をご遠慮いただいております)
 ホテルにはレストラン、「État d’esprit(エタデスプリ)」がございます。
 地元宮古島出身で東京やフランスのロブションなどで腕を磨いた、渡真利 泰洋がシェフを務めております。

 弊社ホテルは今年で3年目の若輩者でございますが、日本の最前線をこの宮古島、伊良部島で実現させたいと思い、日々新しい挑戦を繰り返しております。
 有難いことに、リピーターのお客様も少しずつ増え、予約サイトでも表彰を受けることもあり、レストランの口コミでもお褒めのお言葉を頂けるようになりました。

 しかし、今現在、自分たちはどの位置に立っているのか、何が足りないのか迷うことも多くなってきました。
 雑誌やネットを使い、最新のレストラン情報や流行の傾向なども見て、実際に東京の有名レストランを巡ってみたりもしています。真似をし、変化させお客様に提供させていただき、有難いことにお褒めのお言葉を頂く事もございます。
 ただ、まだまだ自信がありません。
 目指す目標は高く設定しております。諦めない心と、向上心と探究心はシェフをはじめ、スタッフ全員日本トップレベルだと自負しております。

 宮古島、伊良部島には比較するようなレストランも少なく、自分たちを再確認する場があまりありません。

 単刀直入に申し上げますと、渡航費、宿泊費などは私共がご用意いたしますので、一度弊社ホテルのレストランを見に来ていただけないでしょうか。

 尊敬する山本様にご評価を頂ければ、その評価がどんなに悪くても私どもが大きく飛躍するきっかけに必ずなります。
 お客様により良い料理とサービスを提供できるように必ずなります。
 どうかご検討頂けないでしょうか。

 ***

 文面から誠実さと切実さが伝わってきたのだが、仕事になるわけでもなく、どう返答しようか迷いながら、わざわざ丁寧なメールを下さったくらいだからと、妻と一緒に出かけることに決めた。妻の飛行機代を負担しさえすれば、久しぶりにリゾートでゆっくりのんびりした滞在ができると、懐に「沖縄でフレンチはおやめなさい」との答えを用意して、その年の11月に宮古へ飛んだのだった。


 ところが、いざ夕食の段になり、テーブルに置かれたメニューに書いてあるメッセージを読んで、居住まいを正すことになった。シェフの地元の食材に対する敬意がしゃれた文章で書かれていたのだ。

「宮古島の言葉で畑のことをパリといい、そこで働く女性のことを言葉遊びで“パリジェンヌ”と呼びます。
 宮古島の食材や文化に敬意を表し、その思いを込めて私たちはこのメニューを“ムニュパリジェンヌ”と呼びます」

 次々に繰り出される料理は、孔雀のコンソメ、山羊のローストなど宮古島色をちりばめながら、確かな調理に支えられた極めて上質なフランス料理だった。料理にすっかり魅了された私たちは、もう1泊することを願い出て、2泊目も近年日本では味わったことのないフランス料理を堪能した。食事後は、調理、サービスのスタッフとミーティングが深夜にまで及んだほどだった。

 ホテルを発つ段になり、当時、頻繁にヨーロッパへでかけていることをフェイスブックなどでご存じだった渡真利シェフが、次の機会にぜひとも連れて行って欲しいと願い出て、翌年1月に1週間ほどフランスを中心に一緒に出掛けた。

「エタデスプリ」の渡真利泰洋シェフ

 パリの「ランブロワジー」で「トリュフのパイ包焼き」を食べているときの渡真利シェフの真剣な顔は今でも忘れられない。

 帰国後、彼は「いままで、宮古そばにトリュフを削ったりしていましたが、ランブロワジーでのトリュフのパイ包焼きを食べて、トリュフの扱い、使い方を知りました。もう2度と、そばにトリュフを削ってかけたりしません」と誓っていた。

 メールをくださった高里支配人が言う。「ヨーロッパへお連れいただいたのが、シェフの転機となりました。それまで、料理の方向性が見えず、もやもやしていたのが、吹っ切れて、料理が突然変わり始めました」


 ヨーロッパへご一緒したのが、2019年1月。その後、3月と6月に「紺碧リゾート」へ出かけると、その都度、料理が驚くほどのスピードで革新的に進化していた。

 確信を得た私は、現在の日本のフランス料理の最前線は沖縄・宮古の「紺碧リゾート」のレストラン「エタデスプリ」で楽しみ味わえると、フェイスブックはじめあちこちで喧伝した。すると、その評判を信じて、わざわざ宮古まで足を運んでくださった食いしん坊、料理ジャーナリストたちが、私にもまして、渡真利シェフの料理を絶賛してくれた。

未来をみすえる料理

 最近の渡真利シェフの料理は、沖縄の食材と食文化に自信をもち、それに最大の敬意を捧げる料理を繰り広げている。もはや、フランス料理と言うより渡真利シェフの「マ・キュイジーヌ(私の料理)」。単なる美味しいローカルガストロノミーではなく、未来へのメッセージが力強く込められた「琉球祝祭料理」とでも言おうか。

 テーブルにつくと、くしゃくしゃに丸められて置かれた紙があり、そこには「私たちは、未来に歩いていったら歓迎されるような人でありたい」と書かれている。

テーブルセット。皿の上には丸められた紙がのせてある

地の魚イラブチャーをつかった一皿

 渡真利シェフが述懐する。「僕は当時宮古島でフランス料理をやる意味と、自分のオリジナリティを見い出せなくて悩んでたんです。人のモノマネというか、外ばかり見てたんです。ヨーロッパへ連れて行っていただき、ロンドン郊外の『ザ・ファットダック』に一番刺激を受けました。ヘストンの料理を食べてオリジナルというのは自分の中にしか無いという事を教えてもらいました。そしてレストランはエンターテイメントなんだと衝撃を受けました!」

 この半世紀近く、ヨーロッパで何人もの料理の天才に出逢ってきた。彼らに共通するのは、

1 天才は直感する。
2 天才は創造する。
3 天才は変貌する。

 の3条件である。渡真利シェフは、日本で久々に私が出逢った、この3条件に当てはまるシェフだと思ったのだった。

  

  

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*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。