人間味 小さな奇跡を生み出した料理人たち / 山本益博

一皿の料理が、それまでの常識を変えてしまうことがある。 その奇跡はたいてい、空から降ってくるものではなく、職人の日々の仕事をささえる「足もと」から生まれるのかもしれない。 指折りの高級レストランから、隠れた庶民の名店まで。 美味しいものを届けたいという思いと愚直に向きあう職人たちを追う。

(最終回)32歳の「転機」――澤田幸治

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トラック運転手を経て

 「さわ田」は今や銀座を代表する鮨屋の1軒だが、20年ほど前は中野の大久保通りに店を開いていた。わずか5席の、おそらく日本一小さい店で、お手洗いも店の外、鍵を借りて、雨の時は傘をささなくてはならないというような状況だった。

 私は1980年代半ばに講談社から5年間で4冊、『東京・味のグランプリ』という東京の料理店ガイドブックを出している。その1冊目の改訂版を、10年後に『東京・味のグランプリ勝ち抜いた59軒』として上梓した。その本に添えた「愛読書カード」で読者が教えてくれたのがこの店だった。私は「さわ田」の存在を知り、2003年2月末に編集者と出かけていった。

 そのときの記事を、連載していた月刊『おとなの週末』に書いた。

 二月某日 夜、中野の鮨さわ田へ。昨年十一月『東京・味のグランプリ』の読者カードでマークしていたのだが、出かけるのが延び延びになってしまっていた。店は清潔にして簡潔。だが、4坪の店舗で5席という、恐らく日本一小さなすし屋。予約の18時30分に合わせた人肌の酢めしがすばらしい。ひらめ、いか、はまぐり、かつお、海老、赤貝など文句なし。こはだのみ水っぽいので、その感想を伝える。次回に直っているかどうか。
 一息ついて、職人兼主人の澤田幸治さんに話を伺うと、今年32歳。銀座の「青木」で修業のあと、佐川急便のトラックの運転手を6年半やって自己資金を貯め、中野の大久保通りに店を開いた。毎朝、築地へ仕入れにゆき、質の高い魚を揃え、仕込みをすませても、いまだ週二日ほどは客が全く顔を見せない日が続いているという。それなら、これから当分の間、週に一度は応援に出かけよう。こういう店は絶対につぶしてはならない。

 店を訪れるのが延び延びになっていた理由は二つあった。ひとつは「愛読者カード」の差出人名が、同じ澤田だったためで、住所は石川県金沢、文面から察してどうやら身内の方のようだった。二つ目は、11月に出かけようと電話したのだが、昼はやってないとのことで、年越しをしてしまったからだった。

 じつは、記事には書いていないが、鮨種でまぐろのみが質が低かった。聞けば、このところお客さんが全く来なくて、週の半分は、一人で残った魚を食べてきたというのだ。貯金も底をつき、ついに今日初めて築地の場外で、冷凍のまぐろを買ってしまいましたと。

 後日談だが「あと数日、お客がゼロだったら、店を閉めるところでした」と澤田さんが述懐していた。

 ところで、愛読者カードの差出人の「澤田」は、実兄だった。金沢から東京へ出張のたび、店の客になってくれたのだという。

澤田幸治さん(右)と著者

つけ場

 宅配便の仕事についたときも、その初任給で刺身包丁を買い、将来は絶対に鮨職人になると心に誓ったという。その夢の実現が大久保通りにひっそりと暖簾を出したこの店だった。

守り続けた二つのこと

 私は家に帰って、すぐに5人の仲間にファックスした。まだ携帯電話やスマホを持っていなかった時代。仲間は、早速、店に駆けつけて、「さわ田」を元気づけてくれた。わたしも、週に1回、ときに2回家族や友達を誘ってせっせと通い、澤田さんにアドバイスしながら売り上げに協力した。

 アドバイスの一つが、夜のみの2回転制。酢めしを最良の状態にして鮨を握るのであれば、18時30分と21時30分の各組5名2回転にしてみてはという提案。当初彼は、2階で寝起きしているのだが、2階に上がるのに梯子をかけなければならず、そんな狭さだから、酢めしを2度切るのは難しいと躊躇していた。だが、「なにより酢めしが大事」という私の進言を受け入れ、21時30分からの回でも、人肌の酢めしが握れるようになった。

 日曜日は昼も開けて、その代わり、夜は1回のみとの提案もした。すると、日曜以外の夜の2回転目に、噂を聞きつけた料理人たちがやってくるようになった。

 佐川急便で働いていただけあって、澤田さんは体力は人一倍あった。気力も同じようにあった。職人として大切な、健康、感性、清潔、勤勉、謙虚を全て持ち合わせていた。しかも、32歳と若い。これは、応援しないわけにはいかなかった。

 その甲斐あってか、あれよあれよという間に人気店となり、銀座に進出となったのだった。

 銀座の店も大久保時代同様6席。もう一つ、守り続けているのが冷蔵庫。電気で冷やすのではなく氷で冷やす旧式の冷蔵庫。これだと、仕入れた魚介を優しく保冷することが可能なのである。

氷で冷却する旧式の冷蔵庫

 メニューは「おまかせ」のみの1コース。つまみを幾つか楽しんだ後、握りとなる。鮨種はどれも一級品、酢が程よく効いた酢めしに「江戸前」の鮨種が良くなじむ。

 因縁のまぐろは、テレビの格好の素材となって番組が作られ、以来「さわ田」の名物である。今でもYouTubeで「さわ田、まぐろ、山本益博」で検索すると、番組の一部始終を見ることができる。

 この番組を見た台湾の料理ジャーナリストが、「このシンデレラストーリー、ぜひとも、漫画にして紹介したい」と申し出てくだったが、コロナ禍になって話が止まってしまったままである。

 私がその才能を発見し、寄り添い、後押しを惜しまなかった料理人は、数多くいるが、澤田幸治さんは、なかでも飛びぬけた「サクセスストーリー」を生み出したひとりではなかろうか。

  

  

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。