昔ながらの江戸前仕事
東京「すきやばし次郎」の小野二郎さんの元で長らく働いていた鮨職人の水谷八郎さんが独立して、横浜・馬車道に「すきやばし次郎横浜店」の名前でのれんを掲げた。今から20年以上前のことである。
横浜で本格の江戸前鮨は苦労しそうだからと、二郎さんから応援よろしくとの声があって、開店早々出かけて行って、宣伝に一役買って出たことがある。水谷さんはこの店で着々と実績を上げ、暫くして、銀座に戻ってくることになった。
その水谷さんのお声がかりで、跡を継いで「はま田」の看板を掲げたのが東京の「青木」出身の浜田剛さんである。

「はま田」の浜田剛さん
まず、いまや鮨屋では当たり前になっている「つまみ」はあえて用意していない。昔の鮨屋の客はつけ台(カウンター)につくと、「親方、その魚、ちょっと切って」などと酒の肴から注文したものだった。
つまり、昔の鮨屋の仕事を大切にする「はま田」では、酒を飲まずに「にぎり」だけでも存分に楽しめる。「おまかせ」では白身からにぎられ、まぐろは赤身、ちゅうとろ、おおとろの3種だが、当節流行りの脂がたっぷりのったものではなく、香りのよいまぐろ。小粒で口の中でほぐれる酢めしとの相性が抜群。これぞ、江戸前! と唸ってしまう。脂重視ののどぐろ、金目鯛はおいてない。つづく、こはだの締め具合も申し分ない。
そして、嬉しいのは、くるま海老。仕込みの際に湯がいた海老を甘酢に漬け込んである。これも立派な江戸前仕事。はまぐり、たこ、かすご(小鯛)も仕事がしてあるが、鯖のみ、締め加減がやや淡いのが残念。しっかり締めた鯖が今どきは客に敬遠されるからだろうか。
最後の巻物は「ぼんやり、かっちり」巻いたかんぴょう巻が四つ切りにされて出てくる。そして、続くおぼろ巻の美味しいこと!
浜田さんは、にぎりの上に後付け(ねぎなどの薬味)をしない、酢橘などの柑橘も絞ったり、振ったりしない。それだけ、鮨種の魚を大切にしているのだ。にぎりをつけ台に置くとき、いちいち産地名を告げたりもしない。だが、聞かれたら、即答してくれる。
さらに、はまぐり、あなごに塗るつめの、コクがあって美味いこと! あなごの煮汁だけでなく、いかの煮汁からまことに良いつめが生まれるのだという。
ところが、現代の鮨屋は?
鮨職人の頭は、昔から「親方」と呼ばれてきた、ところが近頃はどこでも「大将」。呼ばれた本人は気分がいいのか、「大将」呼ばわりされても訂正しようとしない。
また、どの鮨屋も「おおとろ」と「うに」の氾濫である。
まぐろをにぎって出すときに、豊洲のまぐろの仲卸の札を一緒につけ台におく。「勝浦の180キロ」ですとか「今日は、下田の150キロ」ですとか、自慢げに言う。「うに」に至っては、はじめに化粧箱入りのうにを見せる。客がそれをうっとり眺めることに快感を覚えるのだろうか。
そうして、ほとんどの職人が「おつまみ」にうつつを抜かして、にぎりの技術を磨かない。
ああ、「江戸前」はもはや黄昏てしまったか?
職人は最短距離で仕事のゴールを目指す
私は50年前から、往年の名人のにぎりかたを見てきたが、おおよそ次のようににぎる。
右利きのすし職人であれば、右手でお櫃の中から酢めしをつかむ。この時使う指が中指、薬指、小指。そのまま左手に持つ鮨種と合わせる人と、少し酢めしをつまんでお櫃に戻す、「捨てしゃり」をする人もいるが、おおむね、鮨種と合わせる前にしゃり玉が出来ているから、あとは魚と合わせて整形するのみ。合わせてからにぎらないから、地紙(扇の紙)の流線型にして、軽く、つけ台におくとき、わずかににぎりが軟着陸する。ところが、中指を使って酢めしをつかむ職人は、わさびを指先につけるとき、その中指を使うものだから、いったんつかんだしゃり玉をわずかに下に動かすので、鮨種と合わせるときに改めて、形を整えるために握りなおさなくてはならない。
職人仕事は、同じ仕事の繰り返しだが、繰り返し同じことはしない。頭と手を使いながら、仕事のゴールを目指して最短距離を狙う。そして、その仕事がつねに「きれい」でなくてはならない。ここで言う「きれい」とは、「偽りのない真実」「悪意のない善良」「簡潔な美しさ」の「真善美」を指す。これこそが鮨職人が常日頃から心がけてきた「美学」であり「哲学」なのである。
「はま田」では、煮切り、煮つめ、ともに申し分ない。さらにお茶までがとても美味しい。浜田さんは、昭和の鮨職人の名人を尊敬し、憧れ、毎日、腕を磨いている。
もはや、「江戸前」の本拠地東京でも見られなくなった、かつての「江戸前鮨」が食べられる、横浜の「小さな奇跡」の物語がここにある。
*営業時間・定休日などの記載は執筆時のものです。
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