人間味 小さな奇跡を生み出した料理人たち / 山本益博

一皿の料理が、それまでの常識を変えてしまうことがある。 その奇跡はたいてい、空から降ってくるものではなく、職人の日々の仕事をささえる「足もと」から生まれるのかもしれない。 指折りの高級レストランから、隠れた庶民の名店まで。 美味しいものを届けたいという思いと愚直に向きあう職人たちを追う。

気合いに気合いを重ねる――藤井寛徳

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知られざる美食の聖地

 2016年6月『ミシュランガイド 富山・石川(金沢)2016特別版』が出版された。「ミシュラン」はガイドが出版される数日前に毎回どこかの会場で発表されるのが恒例で、「ふじ居」の藤井寛徳さんも料理人仲間と一緒に「ミシュラン」から送られてきた招待状をもって指定された会場に出かけて行った。

 いよいよ星付きレストランの発表の段になって、1つ星から順に店がアナウンスされ、会場に設置された大きなスクリーンに、店名と星の数が写されていった。私は東京にいながら、会場にいる知人から送られてくる映像を、テレビの同時中継のように見入っていた。

 1つ星では仲間の「レヴォ」がアナウンスされた。富山県では日本料理2軒、寿司2軒、天ぷら1軒、フランス料理が3軒、計8店が選ばれた。石川県は25店もあり、圧倒的に優勢だった。

 続いて、2つ星の発表。富山は「海老亭別館」1店のみ。石川は9店(日本料理8軒、寿司1軒)とここでも富山を圧倒した。私は「海老亭別館」では、すでに2度食事していて、「ふじ居」はそれに遜色がなかったから、ひそかに、次の3つ星で「ふじ居」がアナウンスされるのを期待していた。

 きっと、会場でも、「レヴォ」の谷口シェフや「海老亭別館」のご主人村さんも、同じような期待を持ったのではなかろうか。

 ところが、3つ星の発表の段になって、アナウンスされたのは、富山の日本料理「山崎」1店で、石川はどの店もアナウンスされなかった。このとき、会場は、きっとどよめいたに違いない。3つ星が富山に1店あるなら、誰もが石川の金沢あたりの日本料理店2、3軒にもつけられると予想していたに違いないからだ。

 そのとき、とっさに藤井さんの心中を察した。2つ星のアナウンスまでに呼ばれなかったため、仲間内ばかりか「ふじ居」を知る関係者までが「3つ星は『ふじ居』?」と思い、藤井さん本人までも、一瞬3つ星が頭をよぎったのではなかろうか? 「ミシュラン」も、招待しておきながら名前を呼びあげない、なんとも罪作りなことをしてくれたものである。

 私はこの一部始終を見ていて、これから一層「ふじ居」を応援しなくてはならない、と心に誓ったのだった。

 当時「ふじ居」は、市内の五福という町にあり、スーパーマーケットの大きな敷地の駐車場の一角に、板塀に囲まれて店があった。「ミシュラン」でなくとも、言い方は失礼だが、ここが「美食の聖地」と思う人とは誰もいまい。

 その後、富山の銘酒「満寿泉」の桝田社長のお声がかりで、店を繁華街から離れた岩瀬に移転させることができた。そして、店は日本庭園がある料亭となった。

「ふじ居」カウンター席

 お店に出かけることだけが応援ではないと、藤井さんを一度「すきやばし次郎」へいらっしゃいませんかとお誘いした。もちろん、「レヴォ」の谷口シェフらの仲間と一緒にと。

 それが2018年の2月だった。藤井さんは「次郎」の鮨を食べて富山に帰った後、すぐに、感想を寄こしてくれた。

 「昨夜も、ありがとうございました。
 伊勢海老の香りと味がする蛸が忘れられません。
 1週間寝かせたしめ鯖の、酢飯との一体感、磯の香りの赤貝、天然の縞鯵、肉厚の針魚さより、とろける穴子、贅沢な軍艦3種、玉子、かんぴょうと、その海苔、すべてが素晴らしく、堪能させていただきました。
 この経験を必ずや、自分の仕事に活かしていけるよう精進いたします。ありがとうございました」

 こういう感想をいただくと、お誘いした甲斐があったというものである。

ほたるいかめし。藤井寛徳さんのセンスが光る

鮎めし

 富山の店に伺えば、魂のこもった料理の数々が出てくる。

 初夏の鮎めしは忘れられない。大きな土鍋に鮎を20数尾並べて炊き上げた鮎めしで、仲間と一緒に歓声を挙げながら、何杯もお替りをした。

 今年の初夏のほたるいかも忘れ難い。活きたほたるいかを部屋に運んできて、部屋の電気を消し、暗闇のなかで光を放つ様をつぶさに見た後、活きたままで、それに炭火で焼いて堪能した。

 甘露の響きを奏でる「お椀」

 さくらます、ほたるいか、あゆ、富山えび、ぶりと富山の豊かな食材はきりがなくあるが、「ふじ居」ならではの一品を挙げるとならば、「お椀」だろうか。

 いまだかつて凡庸なお椀に出会ったことがないのだ。お椀の吸いはどこまでも優しく透明感に満ちていて、しかも、極々丁寧に味わうと出汁が甘いのだ。

 「ふじ居」でお椀が出てくると、懐石で使う両端が細くなった箸を返す。どちらを使ってもよいのに、私たちは片側しか使わない。使わないもう片方は神様が使う、という意味があるからだ。

 私は、「神様、ごめんなさい」と心で唱えて、利休箸をひっくり返す。そして、大きく深呼吸する。ゆっくり大きく息を吸い、ゆっくりその息を吐いてゆくと、気持ちが自然と静まってきて、お椀を味わう気構えが揃うのである。

 まずは、箸を持たずに、お椀を手にして、吸い地をわずかにいただく。味わうのではなく、今まで口の中にあった香りと味を消し去る一口。一拍置いて、今一度いただくと、不思議なことに、もう味わいが違う。さらに、もう一口。これが、料理人が精魂込めて引いたお出汁の本当の味わいなのである。

 鰹節やまぐろ節と昆布で調和をとりながら引いた出汁は、どちらにも偏らず、輪郭がはっきりとして、スケールが大きい。すると、何処からともなく「甘露」という響きが聴こえてくるのだ。とりわけ、料理人が一回の味見で決めた出汁の味わいは、透明感、品格、優雅さ、どれも申し分ないものである。

白海老しんじょうのお椀

 この出汁のお椀を、「ふじ居」で何度もいただいている。私は一度で決まった出汁ではないかと思い、先日、藤井さんにメールで確かめると、次のようなコメントが返ってきた。

 「毎回、益博さんのお席は、いつにも増して気合いが入ります。
 今、毎朝早朝に、引くように心がけております。
 その日のはじまり、何も口に入れてない状態で当たりを見たいからです。
 それでも、香深かふか一等昆布や、枕崎鰹本枯節、鮪節、気温、湿度でうまく行かない時は、やり直します。
 前回はやり直しました。
 今回は、一発で決まりました。
 塩の当たりも一発で決まりましたが、いつものカウンター目の前で瞬間にお出しするのではなく、お座敷に運ぶ時間で椀種が染みる可能性を考えて直前に少しだけ、調整して出汁をはりました。
 また、勉強させていただける日を楽しみに、一段とレベルアップできるよう突き詰めてまいります」

 こんなに気合のこもった人間味豊かな「お椀」、もっと集中力を高めて味わわなくてはもったいないと思う。

  

  

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。