人間味 小さな奇跡を生み出した料理人たち / 山本益博

一皿の料理が、それまでの常識を変えてしまうことがある。 その奇跡はたいてい、空から降ってくるものではなく、職人の日々の仕事をささえる「足もと」から生まれるのかもしれない。 指折りの高級レストランから、隠れた庶民の名店まで。 美味しいものを届けたいという思いと愚直に向きあう職人たちを追う。

「食材探し」よりも「自分探し」のスピリット――井上稔浩

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有明海の色に染まる建物

 『dancyu』という料理雑誌に放送作家・プロデューサー小山薫堂が「一食入魂」というタイトルで連載ページを持っている。3年前、このページに「ぺシコ」が小さく登場した。熊本・天草出身の薫堂さんが、天草からの帰り道、時間があったので、評判を聞いていた長崎・島原のイタリア料理「ぺシコ」に立ち寄って、ランチをいただいたという記事だった。その文章の最後に、「シェフの井上さんは天才かもしれない」とあり、この一文が心に残り、いつか必ず出かけてみようと思ったのだった。

 機会を見つけて出かけたのが、2019年の12月、沖縄・宮古島の「紺碧リゾート」からの帰り道、宮古・那覇・福岡と飛行機を乗り継ぎ、福岡に1泊して、翌朝、福岡から車で島原へ3時間半の旅に出かけた。

 快晴の有明海を臨む海岸沿いにシンプルでモダンなボックス型の深い海の色をした建物が立っていた、それが「ぺシコ」だった。ちなみに「ぺシコ」は井上稔浩シェフの、イタリア語「ペシェ(魚)」をもじった造語だった。

 1日最大6名までの小さなレストランで、室内には横長の長方形の窓の切込みがあり、岸壁越しに有明海の対岸まで眺望できるようになっている。どんな風景画よりも素敵な景色のご馳走。

窓のむこうに海が広がる

 テーブルの皿の上にはまっさらな紙のメニューが置かれていた。二つ折りになったその白紙を開くと、次のようなメッセージが書かれていた。

わたしたちの料理は 
山に湧き水を 
汲みに行くところから始まります

「里浜ガストロノミー」

ガストロノミーとは 
自然と文化の共存だと考えています。

この土地の山と海がもたらす自然の恵みと 
里浜の守り継がれた人々の文化を 
お皿を通して 
楽しんで頂けたら幸いです 
     
  井上稔浩
 

 私はこのメッセージを読んで、途端にわくわくし始めた。

 そして、「つき出し」に添えられた「エタリ」の料理紹介文が、シェフの料理哲学の表明になっている。「食材探し」ばかりでなく、井上シェフの「自分探し」の旅にでる「里浜ガストロノミー」のコース料理。

エタリの塩辛バターと薩摩芋のタルトレット
エタリとは この土地の方言で、片口イワシのこと。

捕れたて新鮮なイワシを樽で塩漬けし、藁を被せ発酵熟成させた、エタリの塩辛。

むかしは、この地域の どの家庭にも常備されており、ふかした、さつまいもにのせて食べていた。

それは、それは。 小腹を空かしたこども達の ご馳走でした。

そんな時代があったんだと 漁師のお爺さんに教えていただいた。

自然がうつろいをみせるように。 時代と、共に。 人の文化もうつろいをみせます。

記憶の中の風景に思いを馳せ 風土から生まれる一皿を 僕らは想像していきたい。 

野菜と魚を同格に

「Satohama Gastronomy Course」は、デザートを含め全11皿で構成されている。今年2021年5月のメニューは次のようなものだった。

浜辺の散歩
波紋のように
たこの花束
がんば/ガネダキ
岩牡蠣/スープ
fish&ham
多比良ガネ/手延素麺
磯の香りを纏わせて
鱸/梅雨の菜園
水/米/塩
思い出の果実

 「エタリの塩辛バターと薩摩芋のタルトレット」は、「浜辺の散歩」と題された最初の皿で登場する。砂が敷き詰められた木箱にはガラスが嵌められ、そのうえに薩摩芋のタルトレットが置かれ、その上に小さなエタリが横たわっている。シンプルにして、気品があって、詩情を感じさせるつき出しである。経験上、最初の一品が洗練されたものだと、あとの料理は期待を絶対に裏切らない。ローカルに何より重要なのは、都会以上の「洗練」ではなかろうか。料理人の裁量は、ほとんどこれで決まってしまう。

エタリの塩辛バターと薩摩芋のタルトレット

 手でつまんでいただくと、小魚の潮の香りと薩摩芋の甘みが見事に調和した。

 どの皿も、地元の野菜と魚で構成されているのだが、いつも野菜と魚が同格に扱われていることが素敵である。2019年冬に初めて出かけたとき、白い皿の右に「クエ」左に「白菜」が置かれ、互いに向き合うように盛られている。そこに流されているソースがあさりの出汁にサフランを加えた香り高いソース。浜の「クエ」の白、里の「白菜」の緑、里浜の「あさりとサフラン」の黄、色彩と言い、味の調和と言い、「ぺシコ」の信条、哲学を皿の上に見事に結実させた傑作と言える一皿だった。

井上稔浩さん

 じつは、この料理を食べながら、思い出した料理があった。

 1990年代、フランス南部ライヨールの「ミッシェル・ブラス」で食べた「平目とほうれん草」である。ドーバー海峡で獲れた平目と、地元のバゼルと呼ばれる緑葉、ごわごわしたほうれん草が盛られた一皿。

 メートル・ドテル(給仕長)が私の前に皿を置くと、右に平目、左にほうれん草が並列していた。サービスを急いで置いていったものと思った私は、即座に、主役の平目を手前、脇役のほうれん草を向こうに、皿の向きを90度変えた。すると、メートル・ドテルが急いで飛んできて、皿の向きを元の位置に戻したのだった。私は、ちょっとびっくりして、改めて皿を見つめなおした。すると、平目にもほうれん草にも同格の敬意を払っているシェフ、ミッシェル・ブラスの料理愛が見えてきたのである。「ガルグイユ―」という野菜料理で、21世紀のフランス料理の扉を開いたシェフならではの一皿だったのだ。

 デザートを出し終えた井上シェフに、そのエピソードを伝えると、ミッシェル・ブラスのその皿のことは知らず、今初めて聞いて鳥肌が立ちました、と言った。「白菜とクエ」も同じ気持ちで作ったものですと。「ぺシコ」では「里浜」のすべての食材に敬意を払い、盛り付けるまで、調理と同じ気持ちで皿の上にデザインする。

白菜とクエの一皿

 「食材探し」に奔走する料理人が多いなか、それより「自分探し」に夢中になる井上シェフの料理には、日本の料理人には極めて珍しいオリジナリティが溢れている。

 もし、今、1日だけ日本中のどこのレストランへ出かけてもいいと言われれば、私は迷うことなく、島原の「ぺシコ」を選ぶ。

  

  

*営業時間・定休日などの記載は執筆時のものです。
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。