人間味 小さな奇跡を生み出した料理人たち / 山本益博

一皿の料理が、それまでの常識を変えてしまうことがある。 その奇跡はたいてい、空から降ってくるものではなく、職人の日々の仕事をささえる「足もと」から生まれるのかもしれない。 指折りの高級レストランから、隠れた庶民の名店まで。 美味しいものを届けたいという思いと愚直に向きあう職人たちを追う。

自然の循環が育むもの――砂山利治

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ゴーティエの料理哲学

 シェフの砂山利治さんは、フランス・ノルマンディーの「ラ・グルヌイエール」アレクサンドル・ゴーティエシェフの下で修業を重ねてきた。「レ・トネルぶどうの木」の料理をいただくと、ゴーティエシェフの料理哲学の洗礼をしっかりと受けてきたことがよくわかるので、その「ラ・グルヌイエール」の話から始めることにしよう。

 パリ北駅からTGVに乗って2時間半、エタプルという駅からタクシーを拾い、20分ほど走ると、ノルマンディーらしい緑の濃い景色の中から地方色豊かな田舎家が見える。それが宿泊施設付きのレストラン「ラ・グルヌイエール」である。

 初めて訪れたとき、メートル・ドテル(サービス責任者)がテーブルの上に置いていったメニューが、くちゃくちゃに丸められていたのを見るに及んで、驚きと興味が俄然湧き上がってきたのだった。40年来フランス料理と付き合ってきて、紙をしわくちゃにしたメニューを手渡されたのは初めての経験である。

水と緑に囲まれてたたずむ「ラ・グルヌイエール」

「ラ・グルヌイエール」のメニュー

 メニューのしわを伸ばしてよく見れば、料理名はなく食材がずらりと並んでいる。「なぜ、わざわざこんなことをするのだろうか?」とシェフの企みを推理しながら、食材名から料理を選び、コースを組み立てていくことにした。

 最初の皿が出てくるまでの予想は、常に新しい料理を頭の中で思い描いているシェフにとって記載されたものはすでに過去のものなので、お客様に出した献立表はもはや紙くず同然である、ということではなかろうか、ということだった。

 料理が運ばれてくると、皿や盛り付けからして斬新で、それは伝統的なフランス料理に対して革新的な挑戦をしているように受け取れた。ただし、料理は最上質の食材を駆使して、真っ当に洗練させた味わいで、舌と脳が自然に「美味しい」と反応するものばかりだった。

 食べ終えて、改めてしわくちゃになったメニューの理由を考えた。現代美術と同じで、作品の題名などを見ずに、自分の眼と舌で素直に料理と向かい合って欲しい、とシェフは考えているのではなかろうかと。 

 その日は、たまたまシェフが不在だった。答えが気になって仕方のない私は、翌年春にも訪れたが、またもや不在。夏になって、初めてシェフに面会が叶った。答えは、どちらも正解。料理名は記号で、メニューはプログラムと呼んでいると答えてくれた。「ラ・グルヌイエール」の2代目オーナーシェフの名はアレクサンドル・ゴーティエ。当時まだ30代の俊英である。「ミシュラン」では2017年版で2つ星に昇格したが、私にとっては輝ける3つ星の1軒である。

野菜を主役にしたコンセプト

 砂山シェフが「ラ・グルヌイエール」で働いていたとき、たまたま金沢「ぶどうの木」もと社長が食事をしにやってきた。彼は、1987年ロンドン生まれで、能登で育った。金沢の本社長は、能登出身の料理人ということに同郷の縁を感じて、日本へ帰ったらぜひとも私のレストランへいらっしゃいと勧誘したという。

 彼がシェフに就いてから初めて私が訪れたのが、2019年の9月。新しいレストランが出来上がるとの報せをうけて出かけて行ったのだが、店は土台ができていただけだった。旧来のレストランで、砂山シェフの料理を初めていただいたのだが、レストランのコンセプトが決まってないこともあって、焦点の定まらない料理が多かった。

 次に出かけたのが、2020年の2月、完成したレストランを訪れると、店の前で目を瞠った。

 建物は世界的建築家、坂茂ばん・しげるさんのデザインで、紙管で作られた極めてユニークなレストランが誕生していた。

坂茂さん建築の「レ・トネルぶどうの木」

砂山シェフ(右)と著者

 レストランの先には、「ラシェット(皿)」と名付けられた直径50メートルほどの円形の農園があり、野菜などが栽培されていた。この野菜が料理のコンセプトになっており、「レ・トネルぶどうの木」は野菜が主役に躍り出たコース料理になっていた。

 今年夏のメニューは、次のように記されていた。
 
 マワリテメグル。
 自然の循環の輪で育まれた食材=命
 その命の「旬は瞬」。
 今ここ。瞬間を一皿に切り取って
 今日の出会いが、
 再びの巡りあいを生む時/処でありたい
   砂山利治

 トウモロコシ
 ビーツ
 ジャガメン
 庭師 高田ラボ
 ブロッコリー
 茄子
 赤皮栗南瓜
 オクラ
 葡萄
 パプリカ
 ワッサー
 小菓子
 

 この代表格が「庭師 高田ラボ」と名付けられた前菜で、納品書が添えられたケースの中に野菜が美しく植えられている。客が自分で大皿の上に野菜を並べ、皿にある燻製された卵の黄身と酢ゼリーを合わせて、ドレッシングを作り、一つ一つ味わいながら楽しむというもの。すでにこの店のシグネチャー料理(名物料理)になっていると言ってよい。

庭師 高田ラボ

旬の野菜を植えこんだケースがテーブルに

 今年の5月『ミシュランガイド北陸2021特別版』が出版された。そして「レ・トネルぶどうの木」は、2つ星が輝いた! 自然や環境に配慮した料理を提供する店に与えられる「グリーンスター」のマークまで添えられるご褒美もあった。

 私は、早速、砂山シェフに「おめでとう!」のメッセージを送ると、すぐさま返信があった。

 「ありがとうございます!
 正直驚きました。今の自分達ではなく、これからに頂けた評価と感じております。
 今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」

 まだまだ伸びしろがある、そして何処までも謙虚なシェフである。

  

  

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。