日々のきのこ / 飯沢耕太郎

20年ほど前に突如、きのこ熱に浮かされた著者。以来、内外の文献を渉猟し、切手やグッズを買いもとめ、折につけ山に分け入る日々をおくる。そんな「きのこハカセの異常な愛情」がほとばしる貴重なコレクションを、ビジュアルとともに紹介。はまったら抜けられない魅惑の世界がここに!

『不思議の国のアリス』は『きのこの国アリス』?

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 「キノコ切手」熱がやや冷めてきて、マイブームもこれで終わりと思っていたら、またまた面白いテーマが見つかった。「きのこ文学」である。

 「きのこ文学」というのは、いうまでもなく、きのこについての記述がある小説や詩(俳句や短歌も含む)、エッセイなどのことだ。むろん、その中には「きのこ漫画」も含めてよいだろう。大人のための本だけでなく、きのこが登場する絵本もけっこうたくさんあるはずだ。

 最初は好奇心もあって、目についたものを片っ端から読み出したのだが、そんな「書棚のきのこ狩り」をしばらく続けていくうちに、意外に奥行きが深いことがわかってきた。次から次に、芋づる式に作品がみつかって、とうとう本が一冊書けるほどの分量になってしまった。そうやって形にしたのが、『きのこ文学大全』(平凡社新書、2008年)である。このアイウエオ順に「きのこ文学」を紹介した「きのこ愛の世界を明かす初の人文系菌類学入門」(帯の文言)では、130の項目を取り上げている。泉鏡花、宮澤賢治からジュール・ヴェルヌ、ウラジーミル・ナボコフまで、古今東西の文学者たちの名前が思いがけない形で結びつき、絡み合っているその目次を見ただけで、「きのこ文学」のただならぬ広がりを感じとっていただけるのではないかと思う。

 さらに、その前書きには「きのこ文学宣言」を掲げた。「文学はきのこである。あるいは、きのこは文学である」というものだ。これは冗談でもなんでもなく、本気でそう思っている。文学が本来備えているはずの「見えないものを見る」という想像力は、森の地面の下に菌糸のネットワークをのび広げているきのこの営みにも通じるはずだし、きのこの持つ魔術性、中間性、偶有性、多様性(これらについては後述する)などは、文学作品にもまた、たっぷりと含まれているからだ。

『きのこ文学大全』平凡社新書

 とはいえ、いくら大上段に振りかぶってみても、「きのこ文学」の面白さ、魅力を伝えるのはなかなかむずかしい。というより、大方の読者にとっては、それがどんなものなのかをイメージすることすらできないだろう。そんな時にちょうどいい作品がある。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』である。日本でもとても人気のあるこの本なら、ほとんどの人は読んだことがあるはずだ。しかも、先ほど述べた「きのこ文学」の特徴がよくあらわれていて、まさにその典型といってもいいほどなのだ。

 ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、オックスフォード大学の数学の先生だった。よく知られているように、彼は魅力的な女の子たちと親しく接することに異常なほどの情熱を傾けていた(平たく言えばロリコン)。1864年11月、お気に入りの同僚のリドゥル家の三姉妹の次女、アリス・リドゥルに、自作の挿画や写真を添えた手稿本『地下の国のアリス』(Alice’s Adventures under Ground)をプレゼントする。その2年前の1862年7月に三姉妹と川下りを楽しんだ時、即興で語った物語を書き換えたものだ。さらに手を入れて、1865年にマクミラン社から出版したのが、『不思議の国のアリス』(Alice’s Adventures in Wonderland)である。
 

キャロルの自筆イラストが添えられた『地下の国のアリス』新書館

 覚えている方も多いと思うが、その第5章「芋虫の忠告」(訳によっては「青虫の忠告」)にきのこが登場する。『不思議の国』で何かを食べたり飲んだりするたびに、体が伸びたり縮んだりするアリスは、その時には3インチ(7・62センチ)ほどの大きさになっていた。地面には、ちょうど自分の背丈と同じくらいのきのこが生えていて、その上にはなんと水煙管をぷかぷか吹かす芋虫が。アリスは芋虫に促されて「ごらん、かわいい蜜蜂が」や「師父ウィリアムはお年を召している」といった詩を暗唱しようとするが、どうしてもへんちくりんな言い回しになってしまう。

 珍問答の末に、アリスが「もうちょっと大きくなりたいわ」と頼みこむと、芋虫は「一方の側はお前を大きくし、もう一方の側は小さくする」と、謎めいた言葉を残して立ち去っていく。「なんの一方の側なのかしら」と考えるアリスに、最後に聞こえたのは「きのこだよ」という声だった。

「さて、どっちがどっちかしら?」ひとりでいいながら、アリスは右手に持ったかけらをちょっぴりかじって、効果をためしてみました。とたんに、アリスはあごの下をガツンとぶたれたように感じました。あごが足に当たったのです。
あまりの急激な変化にアリスは肝をつぶしましたが、体はなおも急激にちぢんでいくようすなので、ろくにおどろいているひまもありません。アリスはただちに行動を起こし、もう一方のかけらを少したべました。[中略]
「やれやれ、やっと頭が楽になったわ!」アリスはうれしそうな声でいいましたが、それもつかのま、その声は恐怖の叫びにかわりました。自分の肩がどこにも見当らなかったからです。下を見おろしたときアリスに見えたのは、途方もない長さの首だけでした。その首は、はるか下のほうにひろがるみどりの木の葉の海の中から茎のようにのびていました。(『不思議の国のアリス』高橋康也・高橋迪訳、新書館、1985年)

 きのこのかけらをかじることによって、体が急に伸びたり縮んだりするこの描写は、全編がアリスの変身譚といえる『不思議の国のアリス』の中でも、最も印象的なものの一つといえるだろう。きのこの傘の一方の側を食べると、顎が足につくほど急速に体が縮み、もう一方の側を食べると今度は蛇のように首が伸びるというのは、たしかに「途方もない」体験ではあるが、どこか奇妙なリアリティも感じてしまう。それはなぜかと考えてみると、キャロルはこの部分を純粋に想像して書いたのではなく、幻覚性きのこを摂取することによる身体感覚や空間感覚の変容についての知識を、既にどこかで得ていたのではないかという推測が成り立つ。

 多くのキャロル研究者が指摘しているのは、当時の植物学、菌類学の権威であったモーデカイ・キュービット・クックが1860年に出版した『眠りの七人姉妹――世界の七つの有力な麻薬の歴史』(Mordecai Cubitt Cooke, The Seven Sisters of Sleep: Popular History of the Seven Prevailing Narcotics of the World)という研究書である。この本では、煙草、阿片、インド大麻、檳榔びんろう、コカ、ダチュラととともに、「七つの有力な麻薬」の一つとしてベニテングタケの幻覚作用が取りあげられている。その第25章「シベリアの放浪者」に、シベリア地方のシャーマンのベニテングタケの摂取によるトランス状態について、かなり詳しい記述があるのだ。その空間変容の描写は次のようなものだ。

大きさと距離の感覚の狂いは、ベニテングタケと大麻の摂取者に共通して普通に起こることである。M・モローの大麻による体験が、シベリアのきのこでも同様に繰り返される。道に落ちている藁は、恐るべき大きさの物体に見える。また、一跳びでエールの樽やオークの切り株を飛び越えられると感じるようになる。

 このような描写は、たしかに『不思議の国のアリス』ではお馴染みのものだろう。あの「芋虫の忠告」の章のように、小さいものは大きくなり、大きなものは小さくなる「大きさと距離の感覚の狂い」が何度も出てくる。クックの『眠りの七人姉妹』は、当時かなり話題になった本のようだから、むろんキャロルが読んでいた可能性がないわけではない。ただ、牧師の息子で、謹厳実直なヴィクトリアンだったキャロルが、大麻やベニテングタケに手を出すということはまず考えられないので、読んでいたとしてもちょっとした参考資料程度のものだったのではないだろうか。

 「芋虫の忠告」の章には、ジョン・テニエルによるイラストが入っているが、そこに描かれているきのこも、ベニテングタケでも、「マジック・マッシュルーム」としてよく知られている、幻覚成分のサイロビシンを含むきのこでもない。テニエルはあまりきのこについての知識はなかったようで、描かれているのは、イギリス人にとってのごく一般的なきのこイメージを具現化したもの(見た目で近いのはヒトヨタケ)になっている。

「芋虫の忠告」より。テニエルの絵

 だが、『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』を、幻覚性きのこによる「トリップ」の記録として読み替えるというのは、なかなか魅力的なアイディアではある。もしアリスがきのこ好きの少女で、白ウサギを追って穴の中に飛び込んだとしたら、そこには「きのこの国」が広がっていたのではないか――そんな妄想を膨らませているうちに、自分でもアリス物語を書きたくなってきた。それがようやく形になったのが2016年。待望の「大人向け絵本」として、『きのこの国のアリス』(ステュディオ・パラボリカ)を出版することができた。

 『きのこの国のアリス』の物語は、キャロルの『不思議の国のアリス』の後日譚として設定されている。あのワクワクするような冒険の日々が終わって、毎日家庭教師の退屈な授業を受けなければならなくなったアリスは、例の芋虫によって「きのこの国」に導かれる。そこは、ありとあらゆるきのこたちが勢ぞろいしている魔法の国。アリスは、帽子屋に身をやつしていた「きのこの国」の王子さまの、魔女やマッド・サイエンティストによって抜きとられた「目玉、ハート、ファルス」を、さまざまな魔法や呪文を使って取り戻していく。


『きのこの国のアリス』(文:飯沢耕太郎、絵:KYOTARO、ステュディオ・パラボリカ)

 なんといっても素晴らしいのは、アーティストのKYOTAROさんの挿画である。それまで、あまりきのこには興味がなかったKYOTAROさんに描いていただくために、図鑑などの資料をお貸しした。その効果は、覿面てきめんだったようで、細密な鉛筆画の出来栄えは神がかり的だった。実は、僕にとって『不思議の国のアリス』の愉しみの一つは、「芋虫の忠告」の章に添えられた挿画を眺めることだ。本家のジョン・テニエルをはじめとして、アーサー・ラッカム、トーベ・ヤンソン、ヤン・シュヴァンクマイエル、日本人なら熊田千佳慕、金子國義など、あの「アリスと芋虫ときのこ」のイラストの名作はたくさんある。KYOTAROさんの『きのこの国のアリス』の絵も、その系譜に連なるものといえるだろう。

『不思議の国のアリス』(絵:アーサー・ラッカム、新書館)

『不思議の国のアリス 型ぬきワンダーブック』(本文:セリーナ・ウッド、挿絵:ジョン・テニエル、訳:楠本君恵、グラフィック社)

 『不思議の国のアリス』は、これまで見てきたように、たしかに「きのこ文学」の最高傑作の一つである。その影響が及ぶ範囲は、文学やイラストだけに留まらず、音楽、映画、漫画からコンピュータ・ゲームまで多岐にわたる。もし機会があれば、そのあたりについても触れていきたい。

 

 

 

 
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。