日々のきのこ / 飯沢耕太郎

20年ほど前に突如、きのこ熱に浮かされた著者。以来、内外の文献を渉猟し、切手やグッズを買いもとめ、折につけ山に分け入る日々をおくる。そんな「きのこハカセの異常な愛情」がほとばしる貴重なコレクションを、ビジュアルとともに紹介。はまったら抜けられない魅惑の世界がここに!

菌糸体のネットワーク――『素晴らしき、きのこの世界』と岩出菌学研究所

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 旧知の菌類学者、筑波にある国立科学博物館植物研究部の保坂健太郎さんから、「面白いきのこ映画があるので見て欲しい」というメールが来た。程なく、映画を配給しているアンプラグドの担当者から、試写会の招待状が届いたので、さっそく見に行くことにした。

 その『素晴らしき、きのこの世界』(原題: Fantastic Fungi)は、監督:ルイ・シュワルツバーグ、脚本:マーク・モンローによる2019年製作のドキュメンタリー映画である(新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで9月24日から公開)。ナレーションは、「きのこ好き」の女優ブリー・ラーソンが務めている。冒頭から、各種のきのこがどんどん大きく成長していく過程を、高速度撮影した画像が続き、その華麗でダイナミックな生命の世界に引き込まれていった。

 料理研究家、菌類学者、医者、ジャーナリストなどさまざまな人物が登場し、「きのこの世界」の魅力を多面的に語っていくのだが、その多くは、僕のようなきのこフリークにとっては既によく知っていることなので、それほど新鮮味はない。それでも、たとえば、アメリカ・オレゴン州の森の地下には、同じDNAを持つオニナラタケの菌糸が880ヘクタール(東京ドーム196個分!)にわたって広がっていて、同一生物としては大きさ、重さとも世界一、といった知識は、はじめて聞く人にとっては驚きだろう。また、「マッシュルーム・グル」とも称されるテレンス・マッケナが唱えた、猿から人類に進化する過程で、脳内の神経ニューロンの数が短期間で急激に増加したのは、アフリカ東部の猿人たちが動物の糞に生えるきのこ(マジック・マッシュルーム)を摂取したためであるという説が、しっかり紹介されていたのも嬉しかった。

『素晴らしき、きのこの世界』
2021年9月24日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
© 2018, Fantastic Fungi, LLC

 だが、保坂健太郎さんが試写に寄せた文章「アヤシイ魅力――研究対象としてのきのこ」で書いているように、この映画、「教科書としては科学的に『少し』アヤシイ箇所がちらほらとある」ようだ。「字幕監修者としてはそれこそ『個人的な見解です』のような文言を入れてもらいたい場面がいくつかあった」という。たしかに、映画を見ていて、末期癌や認知症の治療に有効(これは本当のこと)といった効能が強調され、きのこが、あたかも万能薬のように紹介されていることについてはやや違和感がある。保坂さんが書いているように、「本当かよ、と疑いながら、そしてツッコミを入れながら見るのが、この映画の正しい楽しみ方」なのかもしれない。

 その「アヤシイ魅力」を代表する、主役級の登場人物がポール・スタメッツである。「1955年7月17日生まれ。アメリカの菌類学者でサプリメント商品の製造元であるFungi Perfectiの創設者であり、オーナー」と紹介されるスタメッツの名前をはじめて聞いたのは、もうかなり前のことだ。著書が「ベストセラーのような売れ行き」になっているという話を耳にして、アマゾンでその『菌糸体は走る』(Paul Stamets, Mycelium Running, Ten Speed Press, 2005)を入手した。かなり厚めなので、ざっと拾い読みしただけなのだが、森の地下に広がるきのこの菌糸体をインターネット網に喩え、樹木とその根と結びついた菌根菌の間で、情報や栄養分のやりとりがおこなわれているという記述は、とても説得力があり、図版も豊富で楽しめる本だった。

Paul Stamets, Mycelium Running

 そのスタメッツがどんな風貌で、どんな喋り方をするのかは、映画ではじめて知ったのだが、たしかにカリスマ的な魅力を備えている。彼がきのこに開眼したのはマジック・マッシュルーム体験がきっかけだったようだ。トランス状態で、雷鳴が轟き、森がざわめくような中で、自然と一体化する感覚を味わい、その後、長年悩まされてきた吃音症から解放されたのだという。薬品、栄養食品としてのきのこを栽培し、販売する企業Fungi Perfectiを自ら創設し、次々に独創的なアイディアの商品を開発するともに、インタビューや講演などで忙しい日々を送っている。CBS TVの人気番組「スタートレック・ディスカバリー」シリーズに登場する「宇宙菌類学者」ポール・スタメッツ大尉のモデルが彼であることもはじめて知った。

ポール・スタメッツ『素晴らしき、きのこの世界』より
© 2018, Fantastic Fungi, LLC

 たしかに、スタメッツが展開しようとしている、きのこを中心にしたバイオテクノロジー産業は、これから先とても大きな可能性を秘めている。白蟻の行動様式を研究し、汚染をもたらす菌を巣の中に持ち込むことで、内部から絶滅を図るといったアイディアは、「なるほど」と思わせるものがあった。カリスマ宗教家的な言動がちょっと気になるが、日本でもきのこの薬効についての認識が、もう少し高まってもいいのではないかと思う。だが、日本にも、Fungi Perfectiほど規模は大きくないが、きのこを本格的な医学治療に役立てるための調査・研究を、長年にわたって進めてきた機関があることをご存知だろうか。三重県津市にある岩出菌学研究所である。

 岩出菌学研究所は、日本のきのこ研究の草分けの一人である岩出亥之助(1899~1988年)によって1963年に設立された。岩出博士は東京帝国大学文部教官時代から、シイタケ、ヒラタケ、ナメコ、フランス原産のマッシュルームなどの栽培の研究を開始し、1938年にはマツタケから香りの成分を抽出した「マツタケオール」の製造に成功した。「マツタケオール」は香水のような瓶に詰めて、「松茸のかおり」という名前で製品化されるが、戦後になってマツタケが希少種になり、製造単価が高騰して販売が停止されたという。

 三重大学農学部教授を1963年に退官後、岩出博士は岩出菌学研究所を設立し、本格的なきのこ研究、栽培指導に乗り出した。その中で最も力を入れたのは、免疫反応の強化に優れた効力を発揮する、ブラジル産のAgaricus blazei Murrill(アガリクス・ブラゼイ・ムリル)の研究だった。そして三重大学との共同研究によって、同きのこの人工栽培に成功する。それを「姫マツタケ」と名づけ、国内で本格生産を開始、1980年には、日本癌学会総会でその研究成果を報告し、抗癌作用が広く認められるようになった。現在は、南米・パラグアイのイグアス市にある工場でも、最も優れた株である「岩出101株」の生産がおこなわれている。

 岩出菌学研究所では、「姫マツタケ」のほかにも、いろいろなきのこの研究を進めてきた。チリ原産のGrifola galgal(グリフォーラ・ガルガル、通称・ガルガル)もその一つで、現在は宮崎大学に移られた同研究所員の原田栄津子さんが、青年海外教育隊の一員としてチリに滞在中に、このきのこに出会った。ガルガルは、アンニンの香りがするとてもおいしいきのこなのだが、ビタミンDなどの栄養成分をたっぷり含み、「女性の骨を強くする」作用がある。

 実は、僕が岩出菌学研究所とその製造・販売部門のシエンの存在を知ったのも、このガルガルを原材料とするきのこサプリ「ガルガルガール」の試供品が、突然送られてきたことからだった。ネーミングもかわいいが、津市在住のイラストレーター、つつみあれいさんが描いたきのこの妖精のキャラクターが、これまた超かわいらしく、すっかり気に入ってしまった。それから、原田栄津子さん、広報担当の福本武司さんなどとも連絡を取り合うようになり、会社ぐるみのご縁ができた。

 ぜひ一度訪ねたいと思っていた岩出菌学研究所/シエンに、ようやく足を運ぶことができたのは、2013年4月のことで、原田さん、福本さん、岩出博士の後を継いで1986年に社長に就任した、隅谷利光さんにもお会いできた。同研究所の中庭には、「姫松茸発祥の地」の石碑があり、所内にはまだ岩出博士の時代を彷彿とさせる「きのこの聖地」の雰囲気が漂っている。グリフォーラ・ガルガルの生産のプロセスも見学できた。感激したのは、いまや貴重品になった「松茸のかおり」を一瓶いただいたことだった。蓋を開ける前から、あの独特のマツタケの匂いが感じられた。

 岩出菌学研究所/シエンの皆さんとは、それから後もお付き合いを続け、写真集食堂めぐたまで、トーク・イベントときのこ料理の会を開催したりした。2016年10月には、同研究所内で開催された「日本きのこ女子サミット」に、司会の立場で参加した。この時には、原田栄津子さんをはじめ、きのこアーティスト・ライターの堀博美さん、同じく、とよ田キノ子さん、きのこウェブサイトを主催する、そのきのこさん、音楽ユニット・リマコナとしてCD「キノクリ・キノクラ」を発表した柳本奈都子さんなど、錚々たる「きのこ女子」が顔をそろえ、なんとも楽しい会合になった。きのこの話題が縦横無尽に飛びかった、あの密度の濃い時間は、忘れられない思い出ではある。

 岩出菌学研究所/シエンからは、毎年5月頃になると「ヤコウタケ栽培キット」が送られてくる。ヤコウタケは小笠原諸島、八丈島などに分布するキシメジ科クヌギタケ属の小さなきのこで、闇の中で神秘的な緑色の光を発する。せいぜい2、3日しか持たないが、その光はかなり明るく、いくつか集まれば「本が読める」くらいにはなる。同研究所では、ヤコウタケの菌床を開発し、2015年から、スポイトで水を垂らして湿り気を保てば、光るきのこを鑑賞できるようになる栽培キットを販売し始めた。とても人気が高く、発売後すぐに売り切れてしまうというそのキットが、ありがたいことに毎年届くのだ。

ヤコウタケ栽培キット(岩出菌学研究所/シエン)

 最初の年、本当に半透明の小さなきのこが生えてきて、光り始めた時には、感動して周りのみんなに触れ回った。小さな覗き穴のある箱に布をかぶせて、その隙間から目を凝らすと、光るきのこを見ることができる装置を作って、写真集食堂のカウンターに設置した。時々水をやるのを忘れて、干からびさせてしまって失敗する年もあるが、それからはほぼ毎年、光るヤコウタケを目にすることができる。いつか、小笠原あたりに出かけて、現地では「グリーン・ペペ」と呼ばれているという、野生のヤコウタケも見てみたいと思っている。

 『素晴らしき、きのこの世界』に登場するポール・スタメッツのFungi Perfectiも、岩出亥之助博士が設立した岩出菌学研究所も、一般的にはそれほど知名度は高くないし、会社の規模も大きいとはいえない。だが、きのこの持つ医療、治療、栄養補給、さらには精神安定をもたらすような効能は、無尽蔵の可能性を秘めている。将来的には、新型コロナウイルス感染症の特効薬として、きのこがクローズアップされるというようなことも起こってくるかもしれない。だが逆に、企業化があまりに進みすぎて、無味乾燥なビジネスに収束してしまうのも困ったものだ。「ヤコウタケ栽培キット」のような夢のある商品を、これから先も世に送り出し続けてほしいものだ。

 

 

 

 
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。