無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語 / 野崎歓

大江健三郎の文学において、子供はときに危機にさらされ、不条理な世界を一身に受けとめる存在として描かれる。なぜ物語の少年少女たちは、かくも鮮烈な印象を残し、ひときわ輝きをはなつのか。大人が失ってしまったものと、“チャイルドライク”な作家の本質にせまる、まったく新しい大江健三郎論。

男たちよ!

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長篇から短篇へ

 

 「私は神話の創造者になりたい。それこそが人間の仕事として許される最高の神秘だ。」

 20世紀ポルトガルの詩人ぺソアの言葉である。(澤田直「フェルナンド・ぺソア――異名者たちの迷路」)。

 『同時代ゲーム』(1979年)で、大江はまさに神話の創造者となった。そのとき作家は、「最高の神秘」に到達した喜びに酔いしれたのだろうか? 刊行時、著者の言葉として大江はこう記した。

 「古代から現代にいたる神話と歴史を、ひとつの夢の環にとじこめるように描く。(……)語り手がそれを妹に書く手紙の、語りの情熱のみをリアリティーの保障とする。僕はそうした方法的な意図からはじめたが、しかしもっとも懐かしい小説となったと思う。」

 大きな作品を書き終えた満足感が伝わってくる。そしてまた、執筆後に直面しなければならない試練の萌芽もすでにあった。作品がひとたび完成したなら、作者はそこから弾き出される。いまや「夢の環」の外に出なければならない。その心境は、神隠しから心ならずも救出されて村に戻った露己つゆき少年の悲哀にも近いものではなかったかと想像される。
 
 そこで大江が試みたのは、70年代の雄篇3作に続く新たな長篇小説に取りかかることだった。長篇作家であり続けることにこだわったのである。それは「雨の木レイン・ツリー」のイメージを中核とする長篇だった。「雨の木レイン・ツリー」は無残に炎上し、地上から失われるものの、やがては再生する。そんなアイデアを頼りに、大江は長篇と「併行」して同じ主題の短篇を4つ書いた。当時、大江の日常は原稿執筆と、プールでの水泳を二本の柱としていた。新たな長篇は中年作家の「僕」がプールの底に「雨の木レイン・ツリー」を見て、「そのこまかな葉叢はむらをぬいながら泳ぎつづけるシーン」で終わるはずだった。ところが、書き溜めた草稿を読み返して、大江は大半を廃棄する決心をした。そのまま書き続けても「主人公の『僕』がプールの水底に『雨の木レイン・ツリー』の再生を見ることはないと納得されたから」だった。

 「僕はいまも毎日のようにプールに通って、やすみなくクロールで泳ぎつづけながら暗喩メタファーとしてであれ、失われた『雨の木レイン・ツリー』を再び見出す日がいつくるものか、見当もつかない。それでいてどうしてこの草稿を書きつづけてゆけば、『雨の木レイン・ツリー』の再生を書く終章にいたることができると、思いこんでいたのだろう? なぜ僕はそのように、アクチュアルなものでなくフィクショナルなものによって、現実の自分を励ます力が保障されるはずだと、憐れな空頼みをしたのだろう?」

 10年間におよぶ倦むことのない執筆によって、長篇作家としての力量を世に知らしめた大江としては、意外なほど弱々しく、痛ましい口調ではないか。まさに「フィクショナルなもの」に全権をゆだねたのが『同時代ゲーム』だった。とすればこれは、現実を凌駕するイマジネーションの創造性に賭けた自らの文学を根本から疑う言葉のようにすら響く。

 そしてまた、いま引用した告白的一節を含む短篇連作『「雨の木レイン・ツリー」を聴く女たち』(1982年)は、未完に終わった長篇の残滓として位置づけられることになってしまう。作家自身の肉声と受け止められるような(読者にとってはそうとしか思えない)言葉づかいで、作家自身の日常の暮らしを綴る作風への変化である。さらに続く短篇連作『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)も発表された。大江は長篇から短篇へ、そして「私小説」的な作品へと舵を切ったのだ。

 そこに作家としてのパワーダウンのしるしを見るべきだろうか。「それまでの大江らしさは影をひそめ、ほとんど私小説的、しかも身辺雑記私小説のようなものが続き、私はここに大江の衰弱を感じた」と小谷野敦は書いている(『江藤淳と大江健三郎』)。

 だがぼくは、「衰弱」をそっくり引き受け、悲哀と悔恨を文章に溶かし込むことで、大江の文学はさらに面白くなり、胸にしみるものとなったと感じる。「夢の環」から締め出されたとき、作品は日常の現実に根ざすこととなり、サイズ的には小さくなった。だがグロテスクで破天荒な想像力はなおもそこに脈打ち続けている。人間の生き方をめぐる思考はひときわ切実さを帯び、かつまた研ぎ澄まされている。大江の好きな野球の比喩を用いるなら、先発完投を続けてきたピッチャーが、中継ぎにまわって、じつに味わいのあるピッチングを見せるようになったとでもいおうか。『「雨の木レイン・ツリー」を聴く女たち』、そして『新しい人よ眼ざめよ』という2つの短篇連作に、ぼくは強い愛着を覚える。

同級生交歓

 それにしても40代後半とは、作家にとって、「人が死にむけて年をとる」ことの重さを感じないわけにはいかない時期なのだった。そもそも、長篇と短篇を同時に用意するという周到でもあり、二度手間とも思えるやり方を選んだのも、死の意識におびやかされてのことだった。長篇を完成する前に「なんらかの事故が起って、作家としての自分が存在しなくなるのではないか」――しゃにむに長篇に取り組んだ時期には感じたことのなかった不安に大江は取りつかれた。もしもの場合には、信頼する編集者と妻に遺稿を委ねるので、それを編集し刊行してほしい。「そのための参考」に短篇で「現在の自分の小説の作法と主題を明示しておく」ことが必要だと大江は考えたのである。

 そこまで思い詰めたのは、「四十歳を過ぎてからつみかさなってきた気の滅入る症状と、内臓のどこかに確かに実在すると思える不調」のせいだった。そうは言っても、毎日プールでたっぷりと泳いでいたのだから、40代後半の大江は壮健そのものだったのではないかと思える。その後大江が長寿に恵まれていることを知る読者としては、40代などまだ青春時代だったのではないかとも感じてしまう。だが大江にとって、自分が死の圏域に近づいていると思わせるしるしには事欠かなかった。

 仏文の同期で、のちに中央公論社の『海』編集長となった塙嘉彦が1980年、白血病で逝去した。大江は葬儀の準備を手伝い、故人に追悼文を捧げた。彼の葬儀をめぐるてんまつは、『「雨の木レイン・ツリー」を聴く女たち』の重要な題材となっている。元同級生を見送ったことで、大江のうちには学生時代を回顧する気持ちが生じただろう。

 『新しい人よ眼ざめよ』では、東大に入学した直後のキャンパスの情景が回想されている。図書館に坐っていたとき、隣席をふと見ると、洋書の詩集が開いたまま置かれていた。そのページをのぞきこんで、「僕」はそこに、「そして帰ってゆかねばならぬ/そこからやって来た暗い谷へと」という一行を読み取る。そして、谷間の村から上京してきたばかりの自分の未来に、暗い予言がもたらされたかのような衝撃を受けたのだ。

 「僕はへたりこむ具合に、じっとそのまま頭をかかえて時をすごした。昼食の時間になると構内の寮入口の売店でパンとコロッケを買い、みながやるようにソースをかけてサンドウィッチにして――売り場には生協による張り紙があって、コロッケを買わぬ者がパンにソースだけかけるのはめてもらいたいと呼びかけていた。つまりはそのようにも貧しい時代だったのだが――水飲場の前にむらがる者らのなかに立って食べた。牛乳を買う金は持っていなかったので。そして僕は自分がいま生涯を全体にわたって見わたし、その陰鬱な眺めをそのまま許容したところだと――ただその主観的な理由のみで――周りの学生たちを子供っぽい者らに感じたのだ。」

 パンに無料のソースだけかけて食べたり、それを水でのどに流し込んだりといった、1950年代半ばの東大生たちの味気なく貧しい昼食の実態に胸を突かれる。同時に、そんなパッとしない情景を鮮やかに蘇らせ、描き留める作家の筆力に唸らされる。もちろん、いま作家にとって問題は懐古の情に浸ることではない。周りの学生を「子供っぽい者ら」と見下そうとしながら、「僕」に将来を見とおす力などあるはずもなかった。そんなかつての自分こそいかに子供っぽかったかが反省され、現在もなお子供っぽさを引きずりながら、人生の意味を掴み切れていない事実が、苦く認識されるのだ。その認識は、中年に達した者が抱きがちな“同窓会モード”の心境をとおして、ひときわ痛切に深められる。


  
 大江の短篇中で同窓会が描かれるわけではない。だがかつての同級生をたった一人登場させるだけで、作品には濃密な“同窓会モード”がもたらされる。そして過去とのかかわりにおいて現在の苦境が浮き彫りになるのだ。その同級生とは、『「雨の木レイン・ツリー」を聴く女たち』に登場する「高安カッチャン」である。

 「駒場の教養課程」の同級ではあるが、カッチャンという呼び名が「どういう漢字にもとづいたかを知らない」というあたりに、「僕」には最初からカッチャンをやや軽んじる気持ちがあったことがうかがえる。英文科に進み、アメリカ留学まで果たしながら学者の道を諦めたカッチャンは、小説家を目指したが、「あてにする雑誌からは軒なみつきかえされ」るという「悲嘆グリーフ」を味わった。

 「(……)高安カッチャンが僕に面とむかっていったところによれば、――きみのようにありふれた男の小説がマスコミにむかえられ、一応それに触発されて始めたことは認めるが、おれのように個性豊かな男の書くものが無視されるというのなぞ、実際怒りより悲嘆グリーフを感じるよ! というわけなのだ。」

 若くして有名作家になった大江への羨望や嫉妬が、高安カッチャンの人生に影を落とし、人格にまで歪みを生じさせたのか。カッチャンはふたたび渡米して音信を絶っていた。だが「僕」がハワイ大学でのセミナーに招待されて参加したとき、カッチャンは20年ぶりに忽然と姿を現す。

 「(……)どうやらアルコールとそれにあわせて薬物中毒のあるらしい衰弱をあらわしてズズ黒く、しかし背はまっすぐに伸ばして、過度に優雅な煙草のみ方をする高安カッチャンは、なおも僕をふくめた同級生たちへの憎しみを持ちつづけている。それにいまは外目にも見てとれる重たげな外套がいとうのような悲嘆をまとっているのであった。」

 カッチャンは大学院に進んで学者となりおおせた同級生たちにも「子供じみているほどの」憎しみを抱いていた。常夏のハワイにいながら鬱屈の「外套」をまとったカッチャンの姿は異様に場違いで、滑稽だ。ハワイ大学の学食に一人でビール瓶を林立させながら、亡き「斎木正彰」――モデルは明らかに塙嘉彦――に対する誤解にもとづく悪口を言い立てる彼は醜悪である。煙草を吸うさま一つとっても精一杯、虚勢を張っていることがうかがえて、いっそ切ない。だが、そんなカッチャンだからこそ逆に、「僕」に対する強力な批判もなしうるのだ。カッチャンが発する最初の一言がいい。

 「――国際作家よ、ハワイまでドサ廻りに来たか? それにしてもきみは英語を話せるのか?」

 「国際作家」というカッチャン流の言い方に皮肉が効いている。ずいぶん偉そうになったものだが本当に大丈夫なのかとの問いかけが、作家の胸にはずしんと響く。

壊れていく男たち

 元同級生とは、いうなれば共通する出自をもちながらその後、分岐した者たちである。自分が歩んでいたかもしれないもう一つの人生を映し出す存在だともいえる。「僕」がカッチャンになっていたかもしれないのである。カッチャンという音は、大江が自身を投影した登場人物の呼称「Kちゃん」(『新しい人よ眼ざめよ』等)を連想させずにはおかない。

 学食での再会ののち、カッチャンは自分のパートナーである女性ともども深夜、泥酔して「僕」の宿舎を訪れ、大いに困惑する「僕」に彼女との性交をけしかけたりする(「さあ、元気にやれ、一発でも、二発でもやってくれ」)。また彼は「『雨の木レイン・ツリー』小説」を読んで、作品の舞台となる施設は自分のアイデアだ、暗闇のなかで水滴をしたたらせる「雨の木レイン・ツリー」の暗喩は自分のことを指しているのだと決めつける。

 ねじくれた思い込みばかりが目立つとはいえ、有名作家となった元同級生と何とか絆を結び直したいという願いがカッチャンの側にあることは明白だ。彼は「僕」との合作で、遅まきながら作家となる夢を実現したいと心に期してさえいた。

 そんなカッチャンを蔑んだり、その奇行に辟易したりという以上に、「僕」がカッチャンへの惻隠そくいんの情を抑えがたいこともまた、よく伝わってくる。なぜ彼はカッチャンのことが気になるのか。ひとえに、カッチャンが壊れゆく男であるためである。

 ハワイでの不毛な再会ののち、「僕」はカッチャンのパートナー、ペネロープ・シャオ=リン・リーからの手紙を受け取る。

 「それは高安カッチャンが、数年やめていたスピリットをまた飲みはじめ、薬品も併用することをかさねたあげく、ついに事故で亡くなったという知らせであった。」

 「僕」にとっても読者にとっても、半ば予想された訃報である。それまでの部分で、破滅寸前のカッチャンのどうにもならない苦境が強調されていたからだ。そこにうかがえる真率な共感こそが、作家の内なる危機を照らし出す。アルコールや薬物の誘惑は作家としてのデビュー以来、大江にもまた取りついてきた事柄で、他人ごとではなかった。しかもカッチャンとは異なり、作家としての地位を確立しおおせた「僕」においても、人生上の迷いは深い。カッチャンの人生は何も作品を残せずじまいの失敗の人生だった。だが何冊も巨大な小説を世に問うてきた「国際作家」たる自分はどうなのか。元同級生が転落していったような悲惨さから自分を救ってくれるような何かを、自分は掴み取っているのか? ペネローペからの手紙はその点を鋭く突く。

 「高安は死んだが、あなたもまた、かれと同じころ、死にはじめていたのではないか、いまも死につづけているのではないか、by degrees for many years.」

 高安カッチャンの姿をとおして明確化した苦い認識は、『雨の木レイン・ツリー』連作に登場する他の男たちの存在によって裏書きされていく。かつて「僕」がメキシコシティで客員教授を務めた際に親しくつきあった文学研究者「カルロス」もその一人だ。いまやカルロスは「末期の癌」で死の床にある。その境遇は「僕」を揺さぶらずにはおかない。彼もまた「肉体にも情動にもおよそ回復不可能な、崩壊部分を見出すことをかさねる」中年男であるのだから。また日本文学の専門家としてのカルロスは、三島に代表される日本の現代作家たちはなぜこれほど自死に惹かれるのかと訝りながら、「僕」を「潜在的な自殺志願者」扱いしたのだった。「僕」もまた三島の轍を踏むのか? 


 しかし何といっても、連作をとおして黒々と浮かび上がる巨大な影は、イギリス人小説家マルカム・ラウリーの影である。

 『活火山の下』(1947年)によって20世紀の世界文学史に名を刻むラウリーが、大江にとって大切な存在となったのは、1976年にメキシコシティにある国立大学エル・コレヒオ・デ・メヒコに客員教授として招かれて講義を受け持った際だった。『活火山の下』が全編メキシコを舞台としていることに興味をもって読み始めた大江は、主人公である元領事ジェフリー・ファーミンの破滅していく姿に痺れるような面白さを見出したに違いない。

 『活火山の下』で描かれているのは、ジェフリーが朝8時半からウイスキーを飲み出し、ビールにメスカル、テキーラと絶え間なく飲み続け、酒場から酒場へと巡礼する丸一日の足取りである。ジェフリーのみではなく、視点が彼の弟や別れた妻へと章ごとに切り替わっていく多元的な構造をもつ(弟と元妻のあいだに情事があったという設定は『万延元年のフットボール』を思わせる)。ジェフリーの酔いが深まるにつれて、小説全体が眩暈の大渦巻の中に突入していく。メキシコの自然もそれに呼応するかのようで、雷鳴が鳴り響き、稲光が走り、空気は帯電して震える。雄大な活火山ポポカテペトルのふもとで、おのれの肉体と魂を滅ぼそうとするかのようにジェフリーは呑み続け、トラブルを引き起こし、ついには意味もなく火山の斜面を登っていく(『同時代ゲーム』の原生林と比較したくなる)。

 「すべての崩壊だった、壊滅だった。彼は火口に落下していた。(……)おそろしい爆発だ、いや待てよ、これは火山じゃない。世界が爆発しているのだ。」(加納秀夫訳)

 たがの外れたような身の持ち崩し方をする主人公を描きながら、その筆遣いは雄渾で、宇宙的なほどのスケールと痙攣的な美しさを湛えている。どこにも救いはないのに魅力的という、実に困った、見事な文学作品なのである。

 大江は加納訳を読むだけでは満足せず、原書を熟読し、ラウリーについての英文の研究書や伝記を読み漁った。そのすべては、カッチャンの妻がラウリー研究者であり、カッチャンもまたラウリーを偏愛していたという設定により、『「雨の木レイン・ツリー」』連作に活かされている。そもそもカッチャンの人生は、40代半ばで不慮の死を遂げたラウリーの人生とよく似ている。カッチャンの妻は「ラウリーが高安の一部分をなしていた」と回想している。

 『同時代ゲーム』で大江は「壊す人」なる空想上のヒーローを思うさま活躍させた。その「夢の環」から出たとき、彼が見出したのは自分も含めた「壊れていく男たち」のありようだった。

パパの帰還

 それにしても、中年クライシスまっただなかの男たちの、あまりにデスペレイトな姿である。女たちは、元香港の「空手映画」に主演した女優だったというペネローペ・シャオ=リン・リー(シャオ=リンは少林功夫シャオリンカンフーを連想させ、リーはブルース・リーにつながる?)が代表するとおり、はるかに勇気凛凛としているのだが。『新しい人よ眼ざめよ』でのイーヨーのせりふを真似るなら、
 「パパたちは大丈夫でしょうか? 男たちはこのピンチを、よく切り抜けるでしょうか?」
 と声をかけたくなるところだ。まさしく、必要なのはイーヨーの存在である。カッチャンもラウリーも、世界を放浪する根なし草たちだ。しかし「僕」には帰るべき家庭があり、イーヨーがいるではないか。

 マルカム・ラウリーに関する「評伝作者ダグラス・デイ」の著作を読んで、「僕」は海辺の小屋で妻と暮らしていたラウリーのこんなエピソードを知る。「さかさまに立つ『雨の木レイン・ツリー』」の中の一節だ。

 「マルカムはある日、いつものように酔って、水泳パンツ一枚で家をさまよい出た。近くの小屋に大工をしている男をたずねて、一杯の酒をふるまわれる。(……)飲むうちに、醜い気分がかれをとらえる。たまたま大工の子供たちのひとりは、重い知恵遅れであった。マルカムは、苦しみをのがれられぬこの子供をジロジロ見つめてから、あざけるような調子で大工に声をかけた。――こういうたぐいのガキが、あんたの生み出したものである以上、いったいあんたはどういう人間かね? 大工はマルカムの顔を力をこめて殴り、小屋から海岸の岩地へ押し出した。つまずいて血を流し、泣きながら、マルカム・ラウリーは妻の救いをもとめて家に帰った……」

 何とも陰鬱な、これだけでマルカム・ラウリーという男が嫌いになりかねない話だ。ひょっとして大江の創作もかなり混じっているのか? とにかく評伝(Douglas Day, Malcolm Lowry, a biography, 1973)のページを繰ってみる。『活火山の下』の主人公像に直結するような、マルカム・ラウリーの壊れゆく人生の軌跡を、生前の彼を知る人々の証言をもとに描いた一巻だ。問題の逸話は500ページになんなんとする大著の巻末近くに見つかった。比べてみると、これが大江による正確な翻訳であることがわかった。大江が一語一句ゆるがせにせず英語の研究書を精読していたことが実感される。唯一、引用中の「苦しみをのがれられぬこの子供」という表現が注意を引く。原文はthe afflicted childだが、これは単に直前にある「知恵遅れ」retardedの言いかえとも取れる。だが大江はそれをあえて「苦しめられた」という字義どおり訳した。そのことで、この場面全体が「苦しみをのがれられぬ」色調を帯びた。とりわけ、子供と父親に優しさのかけらも示すことのできない酔いどれのマルカムこそが、最も深刻な「苦しみ」にとらえられていることが際立たせられたのである。

 このエピソードを紹介したのち、大江は一行空白を開けて、高安カッチャンがらみの本筋に戻っている。その空白はなかなか意味深長だ。「僕」はカッチャンに対してと同様、ラウリーの言動に、むしろ慈しみの視線を注いでいる。大工を侮蔑する言葉に込められたラウリーの絶望に寄り添っている。破滅型作家なのに毎日海で泳ぐ「水泳パンツ」のラウリーの姿は、「泳ぐ男」(『「雨の木レイン・ツリー」』連作最後の短篇のタイトル)としての大江像と重なる。何よりも、自らの子供が「苦しみをのがれられぬ」存在ではないかと悲観する点において、「僕」はラウリーの自暴自棄なふるまいの理解者なのだ。

 息子に対する「僕」の悲観がきわまったのは、メキシコ滞在中、「障害のある息子が発作をおこして眼が見えなくなった」と国際電話で妻が連絡してきたときのことだった(「『雨の木レイン・ツリー』の首吊り男」)。それは「息子が思春期に達したための内的要因と、外的要因としては父親がずっと不在であるためのストレス」によるものだと妻は「僕」に伝える。息子を襲った新たな試練に「僕」は意気阻喪し、慨嘆する。特に「思春期」の一語が「僕」の怒りと悲しみをかきたてた。

 「なにを? 思春期だって! (……)息子が青春をむかえるとして、性的な事柄にかかわっての幸福はなにもないのだが、それでも思春期だということで、眼が見えなくなる発作がおきたとは、神様というもの(もし神様があるとして)、念のいったことをやってくれるものじゃないか?」

 だが、障害のある息子に思春期の幸福などないというのは、やや決めつけすぎではないだろうか。大工の子供を見下したラウリーに通じるような発想とも感じられる。その偏狭さや悲観主義を乗り越えることでのみ、「いったいあんたはどういう人間かね?」との苦々しい問いに答えることができるはずだ。いまや息子のもとに戻らなければならない。父の小説を、息子・光=イーヨーに向けて、あらためて大きく開くべきときが訪れた。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。