音で世界を感じる旅 LISTEN. 千年後に伝えたい音を求めて / 山口智子

地の果てのように感じられる遠い地に響く音が、なぜかとても懐かしく感じられることがある。世界の民族音楽を伝える映像ライブラリー「LISTEN.」を自らディレクションする俳優の山口智子。大地に根づいた音楽から感じる「生」のエネルギー、心に残った人々との出会い……。旅によって生まれた音と魂との共鳴を綴る、音の千夜一夜。

流浪の民が伝えた音(前編)

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© Twin Planet

LISTEN.

聴いて 感じて 浸る
未来へ紡ぐ「音」のタイムカプセル

美しい音にいざなわれ、2010年から10年をかけて26カ国を巡り、250曲を収録。
50時間を超す音源と20,000枚の写真を記録し、31の映像物語が生まれた。
最初の5年間のエピソードをまとめた、
映画版「THE LISTEN PROJECT ~THE FIRST FIVE YEARS~」は、
世界の映画祭で上映され、日本公開企画中。
https://the-listen-project.com/jp/

LISTEN.初のアルバム”IN A QUIET PLACE”
(iTune Store、Spotify、amazon music、bandcamp アイコンをクリックしてください)
https://the-listen-project.com/jp/music/item/520-in-a-quiet-place-music-from-the-listen-project-vol-1-j

土地と交わり変化する音楽

前回は「東と西の結節点ハンガリー」の音楽に智子さんが引き込まれた理由を伺いました。中央アジアにルーツを持つ遊牧民族の末裔だからこそ、歴史に翻弄されながらも自分たちの魂の音楽を復活させようと、1970年代には「ダンスハウス運動」が起きた――。自らをマジャルと呼ぶ彼らは、自らの音楽に誇りとアイデンティティをもっている。さて今回はどんなところからお話しいただけますか?

「ドナウのほとり、夜の帳に響くヴァイオリンの調べに恋に落ちた」(笑)と、前回お話ししましたが、まず私がハンガリーの都ブダペストで魅せられた音楽から始めましょう。
 最初にブダペストを一人で訪れた時、観光客で賑わうレストランで、ジプシー楽団の演奏に出会いました。麗しくも哀愁漂う、まさに美しきドナウに育まれた洗練の音楽。初めて聴くメロディなのになぜか無性に懐かしく、一人旅の心に染み入りました。音に浸ることがあまりに心地よくて、夜が更けるまで聴き続けました。ハンガリー音楽への探求の旅路は、ジプシー楽団が導いてくれました。
 けれどハンガリー音楽の歴史を学ぶうちに、時代に翻弄された複雑な立場のジプシー音楽の姿も見えてきました。レストランで演奏されるジプシー楽団による音楽、一般的に世界から「ハンガリーらしい民族音楽」と見なされているジプシー音楽は、ハンガリー国民からはハンガリーらしからぬものとして、敬遠された時代もあったのです。「ハンガリー音楽といえばジプシー楽団」という世界からの短絡的なイメージへの反発が、マジャルとしてのアイデンティティ復活へと繋がり、1970年代の民謡リバイバルやダンスハウス運動へと結びついていったのです。
 超絶演奏とエキゾティックな洗練の極みで、世界を魅了するハンガリーのジプシー楽団。そこに至るジプシーの遥かな旅路を辿ってみましょう。


 思い起こせば、「ジプシー」または「ロマ」と称される流浪の民に心惹かれたのは、映画からです。エミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』や、トニー・ガトリフ監督『ラッチョ・ドローム』など、ロマの力強い音楽に映画館で出会った感動は忘れられません。人生の価値観を根こそぎ揺さぶられるような衝撃でした。逆境の遥かな旅から生まれた、魂のルーツへと郷愁を掻き立てるロマ音楽は、奏でる者にも聴く者にも、生き抜く力や人生の喜びを与えてくれます。人間にとって本当の豊かさとは何かを、思い出させてくれる音楽だと思いました。

―流浪の民と称される「ジプシー(ロマ)」だけど、そのルーツはいまだに色々な説があって謎に包まれているよね。

 ジプシー(ロマ)は文字でその歴史を綴る代わりに、何世紀にも渡る民族の苦難の旅を、歌や踊りに託して伝えてきました。その発祥については謎多き流浪の民ですが、10〜11世紀ごろに、北インドのラジャスタン地方の砂漠の漂流の民が、奴隷化をもくろむペルシアの圧政から逃れ、西を目指し旅立ったと言われています。
 彼らは移り住む土地土地で、異文化の漂泊民として差別や迫害を受けながらも、歌や踊りの天賦の才能で土地の人々と融け合い影響を与えながら、トルコ、エジプト、中東からバルカン半島を経て、ヨーロッパ全土へと進んでいきました。
「ジプシー」という言葉は、彼ら自身が使い始めたわけではなく、15世紀ごろにヨーロッパに姿を現した彼らを、「エジプトからやってきた人々」と表したことに由来するとされています。実は、国により呼び方は様々で、中央ヨーロッパでは「タタール」や「サラセン」、フランスでは「ボヘミアン」、オランダやドイツでは「ハイデン」、イギリスは「トラヴェラー」、スペインでは「ヒターノ」など。「ジプシー」やこれらの呼称は、異質な少数派への差別意識も含まれていたことから、彼らへの呼称の論議は今も続いています。
「ジプシー」を差別用語と見なす動きの中で、代わる呼称として一般化した「ロマ」ですが、その由来は、固有の文字を持たないロマニ語で「人間」を表す自称「ロマ」なのだとか。しかし、ロマニ語を使わないジプシー集団も多数いるわけです。とにかく、定説や基準に当てはまらない彼らの歴史は、限られた言葉では表せないほど深いのです。今回の音楽紀行では、逆境の中で素晴らしい文化を育んだ彼らへの心からの尊敬を込めて、「ジプシー」または「ロマ」と呼ばせていただきます。

―異邦人として差別や迫害に遭いながらも、多彩な文化を生んできた彼らの旅は、壮大な時間と移動距離だよね。

 ジプシーは新たな出会いとともに、新たな音楽を育んできました。
今、私がどっぷりハマっているフラメンコも、ジプシーがスペインのアンダルシア地方の文化と融合し生まれた文化です。
 フラメンコの踊り手や歌い手やギタリストは皆、誇りを持って自分たち自身を「ヒターノ」と呼びます。フラメンコを学びながら、社会の枠に迎合しないヒターノの反骨精神、今という瞬間に注ぐ命の熱、彼らの血に滾る猛烈なエネルギーを実感しています。
流浪の民の音楽って、どこか懐かしく心に響きませんか? 
 私の記憶を辿ると、小さい頃に街でよく目にしたチンドン屋さんとか、サーカス小屋に流れていた音楽とか… エキゾティックな哀愁漂う旅芸人的文化に、ジプシー音楽の面影が重なります。アジアや日本、身近な私たちの歴史にも、その影を密かに忍ばせているような気がしています。その昔、ジプシー起源の集団が朝鮮半島を経て日本へ渡来し、「サンカ」と呼ばれる漂泊民になったというユニークな説もありますよ。


 さて、ハンガリーに到達したジプシーに話を戻しましょう。ハンガリーでのジプシー(「ツィンカニ」と呼ばれた)の記録は、13〜15世紀頃に登場します。馬の管理や、馬の蹄鉄をつくる鍛冶職人としてのジプシーの技術が必要とされ、また、芸能の才能を買われ、楽師として王侯貴族たちのお抱えとなる者も現れます。その名を馳せた女流ヴァイオリニストのツィンカ・パンナは、大地主が与えたヴァイオリンを見事習得し、彼女の名演奏は広く知られるようになりました。彼女が始めた、ヴァイオリン2本、ツィンバロム、コントラバスというジプシー・アンサンブルの最小ユニットの形は、今に引き継がれています。
 18世紀後半に確立したとされるジプシー楽団ですが、ナポレオンと同じ年に生まれ“フィドルのナポレオン”と呼ばれたヴァイオリンの名手、ビハリ・ヤーノシュも人気を博し、クラシック界の音楽家たちも虜にしていきます。ハイドン、シューベルト、ブラームス、リストなど多くの作曲家が、こぞってジプシー楽団の演奏に傾倒し、「ハンガリー風」、「ジプシー風」の作品を続々と世に送り出しました。この大ブームが、「ハンガリー音楽」イコール「ジプシー音楽」という解釈を、世に定着させた要因でもありました。上流階級の期待に応え、与えられた楽器を駆使して、求められるエキゾティシズムと名人芸を、究極のアートとして高めたハンガリーのジプシーですが、時代の流れと共に自らのアイデンティを探す機運が高まると、「漂泊の民の本来のフォークロアとは? マジャル本来の土着の民謡とは?」と疑問を呈す動きが生まれ、後にダンスハウス運動や、大地に根ざした素朴なジプシー音楽の再発見へと繋がってゆくのです。
 もちろん、バルトークやコダーイが採集した農村音楽の録音の中にも、かなりの数のジプシーによる演奏や歌が含まれていたそうです。マジャルの大衆とジプシーも、長い歳月の中で音楽を通じて深く関わり合ってきたのだと思います。
 やがて第一次大戦後に貴族社会は崩壊し、ジプシー楽団は、19世紀に飛躍的発展を遂げた都市ブダペストのレストランやカフェに活動の場を移します。しかし第二次大戦後、社会主義体制へと変わりゆく中で、貴族との関わりの深かった歴史的背景が批判され、ジプシー楽団は活動を制限された時代もありました。また、レコードやカセットの普及で、生演奏を必要としない風潮の中、ジャズやクラシックに転じるジプシーも急増しました。時代の変化に翻弄され続けたジプシー楽団ですが、その研ぎ澄まされ高められた誇り高き音楽は、今も私たちを魅了し続けています。
 逆境の中で生きるために力を尽くし、誰にも真似できない道を極めたジプシー。世間からどう批判されようと、人々の心を癒す美で、歴史の中で正々堂々と勝負をしてきたジプシーの純粋なパワーに、私は心からの拍手を送りたいと思います。

口承という誇り

―山口さんが恋に落ちた、ブダペストのジプシー楽団は、LISTEN.にも登場していますね。撮影はどうでしたか?

 私が最初に出会ったのは、名門と称されるラカトシュ・ファミリーの一員であるミクローシ・ラカトシュ( Miklós Lakatos)率いる楽団です。
 2010年夏の終わり、建国祭を祝い大きな花火がドナウ川に打ち上げられた夜、LISTEN.主催の特別の宴を開きました。ミクローシの声の元に、ラカトシュ家と仲間の音楽家たち31名と、その家族や友人たちが一堂に会しました。いつもは訪れる客のために演奏する彼らですが、この日だけは、彼らが彼ら自身のために、とことん音楽に浸り楽しむ宴にして欲しかったのです。彼らが撮影を気にせず、一夜心置きなく自分たちの宴を楽しめるように、カメラも目立たないようセッティングしながら、私もパーティの一参加者としてテーブルに座り、続々と繰り広げられるパワー溢れる彼らの音楽を、全身で浴びながら一夜を過ごしました。
 宴は翌朝日が昇るまで、全く疲れを知らず続きました。美味しいワインも酌み交わし、酔いがまわるほどに彼らの演奏はますます饒舌に冴え渡りました。ヴァイオリン奏者の男たち数名が輪になり、ぴったりと顔をくっつけあって、互いのメロディに耳を傾けながら即興で美しい音を通い合わせる姿は、まさに濃厚な愛の交流でした。男たちのディープキスを目撃しているようで、とてもドキドキしました(笑)。信頼と愛で結ばれた者たちのハートの抱擁が、彼らの音楽なのです。奥方や女性陣は、そんな男たちを「いつもは三日三晩続くわよ」と少し呆れながらも、温かい眼差しで見守っていました。



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 ミクローシは2歳から父の楽団の舞台を見て学び始めたと言います。楽譜ではなく、父の指を見ながら覚えたのだそうです。
 ミクローシは語ってくれました。「私たちの音楽は、ジプシーが演奏するハンガリーの音楽です。私たちは、楽譜に表せない魂の声を音楽にします。1000年もの歳月をかけて先祖たちが訓練を重ね、究極に高め磨き上げたこの音楽を、変えることなく未来に伝えたい。偉大な音楽家たちにより高められたジプシー音楽のルーツを、これからも学び続けたい」。
 ファミリーの中で、まだ10代のこれからの活躍を期待される少年演奏家たちも、ミクローシと同じことを語ってくれたことが心に残りました。
「僕たちは互いに目を見ただけで、求める音がわかるんだ。僕たちファミリーは互いに学びあう。互いへの敬意が何より大切。未来へのタイムカプセルに何を入れたいかって? 『ハンガリーのジプシー音楽の伝統を守れ!』その一言を入れたいです(笑)。『1000年後も今と変わらず、同じ曲を僕たちと同じように練習しろ! 捻じ曲げるな!』ってね(笑)」

―世界を驚愕させた楽譜に頼らない高度な演奏は、口承で親から子へと世襲でつなげられてきたのですね。日本の雅楽も基本的には口承で、記憶するために楽器ごとに独自の楽譜が生まれたと聞いたことがあるけれど、そんな記憶するための楽譜すらなかったのかな?

 ロマの原郷であるインドには、「コンナッコル」と呼ばれる口承伝承法がありますね。楽譜からではなく、声でパーカッションのリズムや音を再現して学ぶのです。本来音楽とは、耳や口や身体を駆使して、感じながら体得してゆくものなのでしょうね。

ツィンバロムの響き

 ハンガリーのロマ・ミュージックにおいて、ヴァイオリンと並んで特徴的なのは「ツィンバロム」という楽器です。金属製の弦2本をハンマーで叩く打弦楽器で、トランシルバニア地方では、ロマに限らず民族音楽の演奏に広く使われます。その昔、動物の腸を乾燥させて作った弦を木片の上に張り、棒で叩いた原始的な楽器から始まり、2000年前から徐々に改良されて、チェンバロンやピアノへと繋がります。クラシック音楽でも使われますが、私は以前より、クラシックのヴァイオリニストとしてチャーミングな演奏で活躍する、モルドヴァ出身のパトリシア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja)のファンでした。彼女の父ヴィクトル(Victor)は、ツィムバロム奏者で、その超絶演奏で、旧ソ連で大活躍しました。母エミリア(Emilia)のヴァイオリンとアンサンブルを組み、モスクワのクレムリン宮殿で演奏したり、シベリア、アフリカ、ラテン・アメリカなど世界中を巡ったそうです。LISTEN.でコパチンスカヤ・ファミリーは、バルトークの演奏を聴かせてくれました。



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 パトリシアは、オーケストラと演奏する舞台に上がる時、ドレスの足元はいつもで裸足で、森を駆ける子鹿のように自由で野生的な演奏が魅力です。踏みしめる大地のエネルギーを吸い上げ、そのパッションを音に変えているかのよう。彼女は、「父ヴィクトルから情熱のスタミナを受け継いだ」と語ってくれました。目にも留まらぬ速さで120年前のツインバロムを操り、天才的な演奏を聴かせてくれたヴィクトルは、全くの偶然で音楽の道に進んだのだそうです。

ヴィクトル:「15歳のある日、畑仕事の合間にトウモロコシをかじっていたら、紙切れが風に吹かれて飛んできた。それは、音楽学校の
生徒募集の新聞の切れ端で、『よし、都会に出て運試しだ!』と思い立った。ヴァイオリンを習うには歳をとりすぎていたから、たまたまツィンバロムを選んだ。やがて演奏家として認められ旧ソ連の国中を回ったけれど、政府幹部と問題が起きて’89年に国外に亡命した。自分の子供達がウィーンの音楽学校で学べる日がくるなんて、想像もしていなかったよ」

パトリシア:「10本指で演奏するピアノと違い、2本のハンマーで表現しなければならないツィムバロムですが、ピアノを上回る多種の音色を奏でます。澄み切った天上界の音から、土臭い素朴な音まで。モルドヴァの諺に、『演奏を聞けば、その人がわかる』という言葉がありますが、芸術に嘘は通じない。自分を偽ればすぐ音に表れてしまう」

ヴィクトル:「ギリシャの哲学者の言葉にこんなものもある。『どんな人間かを知りたければ、その人がどんなふうに笑うかを見ろ』ってね。同じことだね」

パトリシア:「父と母の娘であり、生まれ育った故郷の子である私にとって、伝統音楽を学ぶことはとても自然なこと。でも同時に、ヴァイオリンも私も、新しい音を必要としている。毎日空気を吸って、新聞を読む日常と同じように、伝統音楽を私の血とし、世界に溢れる『今』という瞬間を呼吸していきたい」

―旧ロシアは多民族であるからこそ、さまざまな個性が共有されている。クラシック音楽と民族のフォークロアを大切にする彼女の姿勢は、故郷の風土に育まれたものかもしれないね。

歌い踊り笑い生きる「ロマの祝宴」

 裸足で母なる地から吸い上げたエネルギーを音楽へと転換するパトリシアの次に、都会的洗練のジプシー楽団とはまた別の、大地と繋がる素朴で逞しいロマの音楽世界に入りましょう。
「ハンガリー音楽といえば、ジプシー楽団」という世のイメージに対するジレンマから、ハンガリー人として自分たち本来の源流に立ち戻るムーヴメントが起こったとお話ししました。多くのハンガリー人は、ロマ音楽といえばジプシー楽団しか思い浮かべることができなくなっていましたが、1930年代から少しずつロマのフォークロアの研究が始まり、60年代にヨーロッパ各地でロマの人権問題がクロースアップされるとともに、70年代にかけてロマ復興の動きは本格的になっていきます。もともとロマの音楽は、仲間同士で歌い踊るもので、人に聞かせてお金を稼ぐというものではありませんでしたが、ロマの青年たちによる「カイ・ヤグ(Kalyi Jag)」というグループが、初めてプロのロマ・グループとして誕生し活躍し始めます。
 都会のジプシー楽団と大きく違うロマ音楽の特色は、楽器演奏よりも「声」が主体であること。スプーンやミルク壺などの暮らしの道具を使って伴奏しながら、声で楽器の音を模倣しユニークなリズムで演奏を盛り上げます。「カイ・ヤグ」以降、各地でロマのプロやアマチュアグループが続々と誕生しました。ダンスハウス運動にもどんどん受け入れられるようになり、長いことその存在を無視されてきたロマ音楽が、ジプシー楽団での楽器演奏という役割だけではなく、彼ら自身の声を生かして本来の姿を取り戻したのです。世界はまさに、西洋的価値観で猛進する生き方から、大地と繋がり自然とともに歩むライフスタイルへと舵を切る時代であり、素朴でオーガニックな生き方の広がりとともに、純朴なロマ音楽が求められるようになりました。

―LISTEN.では、盛大なロマの村の祝宴を撮影していましたね。どうやって、ロマの村へと繋がることができたのですか?

 ルーマニアとの国境近くにあるハンガリーの小さな村で、“パルノ・グラスト(Parno Graszt)”というロマのグループとともに、村をあげて催された子供達の洗礼式を祝う祝宴に密着し撮影させていただきました。パルノ・グラストとは「白い馬」。ロマ文化で白は純粋の象徴、馬は自由のシンボル。彼らを紹介し結びつけてくれたのは、LISTEN.Episode30に登場してくれた、ハンガリーの音楽グループ“イ・サロニスティ(I Salonisti)”。ジェームス・キャメロンの映画『タイタニック』で、彼らは沈没する直前まで音楽を演奏し続けた楽団を演じていましたよ。演じるというより、彼らの音楽への愛情がそのまま表れていて、とても印象に残っているシーンです。彼らがハンガリーのロマ音楽グループとして一目置く、パルノ・グラストに繋げてくれました。



© Twin Planet



 村の4人の子供達の合同洗礼式を祝い、300人が集まる大祝宴でした。村の広場で前日から準備が始まり、みんなでテーブルやオーブンやテントや舞台を彩る絨毯を持ち寄り、子供達も色紙細工や風船で飾り付けを手伝い、女性たちもご馳走の下ごしらえ開始。さっきまで野原を駆け回っていた鶏をさばいてスープに、豚もつぶしてソーセージを作り始めます。おばちゃんたちはみんなで歌いながら、肉のミンチをこねていました。
 日本からの珍客である私の元に、話好きのお姉さんや子供達がたくさん集まってきて、私は質問攻めでした(笑)。「日本に忍者はいるの?」とか、「お父さんとお母さんの名前は?」とか(笑)。また、東日本大震災の後だったので、みんなで日本のことを心配してくれました。「ニュースで見たけど、大丈夫だった? でも日本人はちゃんとしてるわねえ、偉いわねえ」と。決して恵まれた社会環境ではないはずの彼らが、日本をこんなにも心配し、優しい言葉をかけてくれることに胸が熱くなりました。彼らの心の広さ豊かさに、私はとても叶わないなあと思いました。
 洗礼式当日は、村中みんな一世一代のオシャレをして正装し、パレードしながら教会に集まります。もちろん演奏はパルノ・グラスト。洗礼式は、プロテスタント、カトリック、宗派の違いに関係なくほのぼの粛々と進みました。神聖な式が済むと、また広場までパレードし、塩とパンでお清めをして会場に入り祝宴開始。皆でご馳走を食べた後、いよいよパルノ・グラストが舞台に上がり、歌や踊りの大宴会へとなだれ込んでゆきます。子供達も舞台に上がり踊るのですが、なんとも粋で洒落たダンスにビックリ!
 広場は砂場になっているので、オシャレな靴を脱ぎ捨てて裸足になり、老いも若きも入り乱れ、延々と延々と歌い踊るのです。私も、パリンカという地元のお酒をぐいぐいいただきながら、一生分というほど踊り尽くしました。ダンス会場では、やはり長年踊り込んできた技が国宝級のお爺さんが超モテモテで、若い娘たちは彼と踊りたくて順番待ちをしていました。
 祝宴は、本当に三日三晩続くのだそうです。私はひと晩で体力が底を突き退散しましたが(笑)。








©Peter Rakossy/Twin Planet



 ロマのおばちゃんが言っていました。
「夜通し飲んで歌って踊って、そして日が昇る頃に、私たちは泣くの。ほんとよ。みんな泣くの。悲しいことも嬉しいことも、みんな思い出して、『思い出』に泣くの。それがロマなの」

―すごい。胸に響く言葉だね。

 パルノ・グラストのリーダーに、LISTEN.のいつもの質問「千年後に開けるタイムカプセルに何を入れたい?」と問うと、
「俺たちバンドのメンバーみんなを詰め込むよ。どんな時代でもどんな場所でも、笑いと幸せな時間を創り出せるからね。未来もきっと盛り上がるよ。」
 彼らの言葉に、“豊かさ”の意味を考えさせられます。どんな苦境がやって来ようとも、幾世代も継がれてきた自分たちの音楽で、歌い踊り笑う時間を仲間と分かち合える彼らこそ、真の意味で豊かさを知る者だと思います。
 砂の上で、裸足で踊る彼らを見て、大好きな映画『ラッチョ・ドローム』を思い出しました。
 故郷を旅立ったジプシーたちが、砂漠のオアシスで憩いながら、砂を裸足で踏みしめて舞い踊るシーンです。裸足で大地と繋がりながら、ロマの少女がいつまでもくるくると舞う姿がとても美しかった。
 それから1000年後の今でも、ロマの村ではこうして皆で集まって裸足で踊り、生きる力を大地から汲み上げている。今も変わらず内なる祖先の血を沸き立たせ、今この瞬間を最高に輝かせるロマの秘宝。きっと彼らは1000年後も、家族や仲間と歌い踊り大地を踏みしめて、今を生き抜く力を滾らせているでしょう。

―パトリシアが裸足で演奏するのも、魂の旅の記憶と通じているのかもしれないね。
 こういう素晴らしい音が世界にはたくさんあるということを、もっと知りたくなった。遠い地だと思っていたハンガリーだけど、心の距離がすごく近づいた気がする。音で世界は一つになれるということだね。

 まずは、「知ること」から始めないと何も始まらない。世界をより良く変えていけない。知ろうとしないことは、一種の罪だと思います。知らないうちに、世界の美しいものがどんどん失われていくのは本当に悲しい。知って、感動して、大好きになることで、見知らぬ地や人々が、自分の友や家族のように思えてくる。もし彼らが苦難に遭遇したら、その痛みを癒したいと心から願う。耳を傾け遠い地へ思いを馳せれば、いつでも彼らと繋がっていることを、強く感じることができるのです。
 様々な真理を探求し続けたあのレオナルド・ダ・ヴィンチもこう記していますよ。
「知るほどに、この世界への愛が深まる」
 壁も境も乗り越えて融け合う「音」に、もっともっと学んでいきたいですね。

 次回は、バルカン半島の「ジプシー・ブラスバンド」など、ロマの旅の異なる道を辿ります。

© Twin Planet

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LISTEN.初のアルバム”IN A QUIET PLACE”
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