音で世界を感じる旅 LISTEN. 千年後に伝えたい音を求めて / 山口智子

地の果てのように感じられる遠い地に響く音が、なぜかとても懐かしく感じられることがある。世界の民族音楽を伝える映像ライブラリー「LISTEN.」を自らディレクションする俳優の山口智子。大地に根づいた音楽から感じる「生」のエネルギー、心に残った人々との出会い……。旅によって生まれた音と魂との共鳴を綴る、音の千夜一夜。

悲しみつくすための歌

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© Twin Planet

LISTEN.

聴いて 感じて 浸る
未来へ紡ぐ「音」のタイムカプセル

美しい音にいざなわれ、2010年から10年をかけて26カ国を巡り、250曲を収録。
50時間を超す音源と20,000枚の写真を記録し、31の映像物語が生まれた。
最初の5年間のエピソードをまとめた、
映画版「THE LISTEN PROJECT ~THE FIRST FIVE YEARS~」は、
世界の映画祭で上映され、日本公開企画中。
https://the-listen-project.com/jp/

LISTEN.初のアルバム”IN A QUIET PLACE”
(iTune Store、Spotify、amazon music、bandcamp アイコンをクリックしてください)
https://the-listen-project.com/jp/music/item/520-in-a-quiet-place-music-from-the-listen-project-vol-1-j

「悲しみ」の先にある力

前々回、パルノ・グラストの村のおばちゃんたちの「人生のいろんな思い出に、皆で泣きつくすのよ」という言葉が印象的でしたね。この言葉に、彼らのたくましい生命力を感じます。

 私は昨年、『監察医 朝顔』という連続ドラマの続編で、死者と対峙する法医学者と「エンバーマー」の役を演じさせていただきました。「エンバーマー」の仕事とは、ご遺体に防腐処置を施し生前の姿に近づけて(エンバーミング)、ご遺族が時間をかけて心安らかにお別れができるようにすることです。演じるにあたり、日本のエンバーミングの第一人者の方にお話を伺いました。エンバーミングが盛んなアメリカに渡って学ばれたという彼に、「なぜ、火葬する日本において、エンバーミングが必要なのですか?」と質問を投げかけてみると、
「『自分らしい姿で皆とお別れしたい』という亡くなられた方のご遺志もありますが、もう一つは、残された人たちが、『悲しみとどう折り合いをつけていくか』という、“グリーフ(Grief・悲嘆)”へのサポートをもっと考えていきたい。エンバーミングが、傷ついた心の再生への一歩となることを目指しています」とおっしゃっていました。
 愛する人との別れという悲しみから立ち上がるためには、膨大な時間とエネルギーを要します。泣いて、泣いて、泣き尽くして、悲しみを受け入れて、涙を拭いて立ち上がる。それでもやっぱり辛くて泣き崩れる。果てしない時間はかかるけれど、しっかりと時間をかけて、また立ち上がって生きていかなければならない。現代は、あまりに事務的で早急な時間の流れの中で、心にぽっかり空いた大きな穴を塞ぐ猶予も許されぬまま、元気を装って進んでいかなければならない。過酷な時代でもあるわけです。

―ご遺体を長期生前の状態に保つことができるエンバーミングは、悲しみから立ち上がっていくための「時間」を、生み出すことができるということですね。

 ご遺体の損傷が酷い状態だと、遺族の悲しみはさらに深まります。しかしエンバーミングで可能な限り生前に近い状態に戻せたら、穏やかな最期のお顔や体に触れて、思い出に浸りながら「ああ、逝ってしまった」という現実を受け止めて、心を立て直していく時間が生まれる。世界には、悲しみや苦しみを乗り越えるために、とことん悲しみ尽くす儀式や風習がありますよね。例えば韓国の、葬儀の際に遺族を代表して大声で泣き叫ぶ「泣き女」とか。ギリシアでも、泣き崩れる遺族を家族が支えながら、村を練り歩く葬儀に出くわしたことがあります。

 今日は人生の悲劇を希望へと転換させる音楽がテーマなので、古代ギリシア悲劇でも名高いギリシアから始めましょう。

© Tomoko Yamaguchi



―ギリシアといえば、紺碧のエーゲ海に白い街並み。光り輝く明るいイメージもありますよね。

 写真(上)はクレタ島の山岳地帯から撮影したエーゲ海。エーゲ海といえば、歌謡曲で育った私にとっては、何と言ってもジュディ・オングの「魅せられて」(笑)。ギリシアは西洋文明の代表みたいなイメージですが、ギリシアを初めて訪れたとき、西洋というより東洋を強く感じたことが意外でした。泊まっていたホテルの部屋やカーテンに、渦巻き模様がいっぱい描かれていて、「これって、ラーメン丼に描かれている渦巻き模様だよね?」って(笑)。雷の稲妻から象った“雷紋”と呼ばれる東洋的な文様ですが、「ルーツってここなの?」と、不思議な感覚でした。ギリシアのポピュラーソングも、まるで私が育った昭和歌謡のようで、「なんじゃこりゃ?」という衝撃。演歌っぽいアジア的なコブシが効いた節回し。島々の古い民謡なんか聴くと、日本の漁師歌みたいな「どんぶらこっこ、どんぶらこっこ」という船を漕ぐようなリズムがぴったりで、鳥羽一郎さんの姿が心に浮かびました(笑)。
 
 さて、まずは大好きなギリシア映画の話から始めましょうか。1960年製作の白黒映画『日曜はダメよ』。ギリシアの小さな島が舞台です。島の娼婦を演じたのが、ギリシア神話の女神のように奔放で美しいメリナ・メルクーリ。大大大好きな女優さんです。あの存在感と輝きは唯一無二!
 その島にある日、アメリカから旅行者がやってきます。理性派で学者肌のその男は、島の娼婦と出会い、人生観が大逆転するというストーリーです。彼が初めて島の酒場を訪れる場面で、素晴らしいダンスシーンがあります。
 酒場で一人静かに酒を飲んでいた地元の男がおもむろに立ち上がり、ブズーキ(ギリシア音楽で使われる弦楽器)が奏でる曲に合わせて一人踊り出すのです。そこに居合わせたアメリカ人旅行者は、男の舞に感銘を受けて拍手を送ります。すると、舞っていたギリシア男は、「俺を馬鹿にしているのか?」と怒り出し、アメリカ人に食ってかかります。なぜ彼は激怒したのでしょう?
 私も映画を見た当時、なぜ彼が怒ったのかわからなかったのですが、このギリシア男が舞っていたダンスは、「ゼイベキコ」と呼ばれる伝統舞踊。ルーツは、古代の対峙する兵士たちのダンスを、山深くに潜伏したオスマン帝国の民兵「ゼイベク」が踊り伝えたとされています。死を覚悟して戦いに臨む兵士が、深い悲哀と向き合う瞑想の舞でもあったのでしょうね。自分自身の心と向き合い、ひとりで舞う男。誰かがゼイベキコを舞い始めたら、周りの者たちは決してその舞を邪魔せず、じっと見守るという暗黙のルールがあり、拍手を送るなんてもってのほか。精神修行のような崇高な時間なのです。

―知らない土地を訪れると、悪気はなくても、そこの人々に対して失礼な態度になってしまう失敗はありますね。自分の国とは異なる価値観もあることを学ぶことも、旅の面白さです。

 もうひとつ、「ゼイベキコ」が大事な役割を果たすギリシア映画があります。『その男ゾルバ』です。野性的で奔放なゾルバというギリシア男と、これまた英国からやってきた理詰めで生きている都会の男、対照的な二人が繰り広げる物語です。
 二人はラストシーンで、人生を賭けたチャレンジに失敗して、持てる物すべてを失います。その時ゾルバは海を臨む断崖で、ゼイベキコを舞うのです。歌や踊りとは無縁の価値観を持っていた都会の男は、ゾルバの舞う姿を見て初めて、「ゾルバよ、俺にダンスを教えてくれ」と頼むのです。そして二人は、絶望の真っ只中にいるにも関わらず、両手を大きく広げ天を仰いで声高らかに笑いながら、いつまでもいつまでも舞い続けるのです。二人の舞には突き抜けた爽快感が溢れ、「また立ち上がるぞ! どっからでもかかってこい!」というパワーが漲っていました。素敵な映画です。
 ギリシアは、青い海と太陽の光のイメージの裏に、人種や宗教による迫害、貧困や戦争という苦境の中から、世界に移民として船出した過酷な歴史を持つ国でもあります。ギリシアの歌や舞には、悲しみを味方につけて苦難に立ち向かう、人生の攻略法のようなものが潜んでいると思います。


「踊らない人間はバカだ」

―ギリシアといえば、オリンピック発祥の地としても知られていますよね。また古代ギリシア語は、今も私たちが日常的に使う言葉のルーツでもあるそうですね。

 エネルギー、オーラ、エロス、シンフォニー、カリスマ、シアター……ギリシア語に起源を持つ言葉はたくさんありますが、「ミュージック」もその一つ。知恵や創造を司る9人の女神「ムーサ」から生まれたと言います。音楽という言葉の発祥の地。
ギリシアはたくさんの島々から成る国ですが、私がいちばん惹かれるのはクレタ島。古代クレタ島にはミノア文明が栄え、ミノタウロスが閉じ込められていた迷宮で有名です。
 神話では、世界最古の舞踏はクレタで生まれたと言われています。“クレス”と呼ばれる半神半人の荒々しい跳躍舞踏が、世界初のダンスなのだそうです。
余談になりますが、島を訪れた時にまず驚いたのは、島の男たちのほとんどが真っ黒な服を着ていること。そして、野性的な真っ黒い濃いヒゲ。ちょっと任侠映画のような、男の世界を感じました。夏には観光客が押し寄せる海岸の開放的なイメージと裏腹に、険しい山々に密かに生きる山岳民族的な、控えめで渋い野性味。
 歴史を辿ると、かつて海から敵が攻めてくると、島民は山深くに潜んで敵と戦ったのだそうです。山の男たちの間では、抗争が絶えない時代もあったのだとか。男同士の喧嘩や争いが日常であったため、男たちは黒い服を着るようになったと言います。なぜなら黒いシャツやズボンなら、敵に刺されて出血しても目立たないから。白シャツでは、負傷していることが一目瞭然で、弱みを敵に見せてしまう。こうして“黒”が男たちのユニフォームになったと言います。

―服の色にも、過酷な歴史が潜んでいるんですね。男たちは戦いながら島を守ってきた。

 戦争や侵略という逆境を乗り越えてきたクレタの人々には、強い結束力があります。それを表す「リズィティカ」という、山の男たちの団結の宴があります。男たちが大きなテーブルを囲んで(もちろん男達は黒服)、山に響くこだまのように、互いに歌の掛け合いをする儀式です。固めの杯を交わすような、重厚でありながら温かい絆を感じる会です。日本の木遣り歌にもちょっと似た感じの粛々とした歌で始まり、歌が進むと女性達が用意してくれた料理を囲んで、「エ・ヴィーヴァー!(人生に乾杯!)」という声の元に盃を掲げて宴は進んでいきます。

 LISTEN.では、真っ黒いシャツとマントとヒゲが凛々しい、アエトニヤス(Aetoyiannis)が率いる舞踊団に踊っていただきました。まるで大きな鳥が翼を広げて飛翔する瞬間のような、威厳に満ちた美しい舞でした。彼の言葉も哲学的。
「プラトンの言葉を借りて言うなら、‟踊らない人間はバカ”だ」
 古代よりギリシア舞踏は、人生において知性を磨くために、学ぶべき教養だったのだそうです。
「僕らは歩くことより先に踊りを覚える。自分の魂の奥深くを探るのが舞踊であり、海や空のように果てしなく広くて大きい世界だ」



© Twin Planet



―プラトンが出てくるのが、さすがギリシアですね。

 羊飼いを本業とするケメンチェ奏者と話した時に、「僕たちにはプラトンやソクラテスがいるが、日本を代表する哲学者は?」って聞かれました(笑)。彼の言葉に、日常の暮らし中に智への探究心が当たり前に存在する、ギリシアの深い歴史を感じました。答えがなかなか思い浮かばず、代わりに松尾芭蕉の俳句をオススメしてみましたが、日本人として改めて日本発信の哲学を考えてみようと思いました(笑)。

© Peter Rakossy/Twin Planet



 ギリシアから帰国後、私は無性に日本の神楽に興味が湧いて、宮崎県の「銀鏡神楽しろみかぐら」を見に行きました。ギリシアも日本も、舞うことは、自身の魂との対峙なのだなと思います。と同時に、地や天の精霊、自分の命を取り巻く自然と繋がる儀式でもあります。ロマのダンスでは、人々は裸足で大地を踏みしめエネルギーを汲み上げていたけれど、ギリシアの舞も神楽も、地を踏みしめ、大地と天空を魂の中で連結させているように感じます。命を脅かす辛苦をバネとしいて、悪霊に打ち勝って生きてみせるぞ!という、静かなる強靭な意思の表明なのではないでしょうか。

―踊ることで人間以上のものになろうとする祈りのような、武術とかシャーマニズムに通じるものでもあるんですね。一方、ギリシアの結婚式などの祝宴では、明るく陽気なダンスや歌もありますよね。移民として多くのギリシア人が世界に広まり、いろいろな国のお祭りでギリシアのコミュニティの人たちが集まると、皆で手を繋ぎダンスを踊り出すと聞いたことがあります。

 ギリシアの人たちにとって、ダンスは人生の一部。
 クレタの祝宴といえば、“ガザニ”という収穫を祝って集う場もあります。秋に収穫したブドウを絞った後の皮をみんなで持ち寄り、大釜で熱して蒸留酒「ラキ」が出来上がるのを待ちながら、ごちそうを囲み楽器を奏でて歌うのです。乾杯のゲームのような歌もあり、次々とまわってくる酒の盃を、「パトパトパトパト!」という掛け声のもとに飲み干します。日本の「イッキ! イッキ!」みたいな感じですね。パトというのは「グラスの底」という意味で、飲み終えるとグラスにチュッとキスをして次の人に回す。このイッキゲームが歌と共に延々と続き、みんな手に手を取って円舞へと突入してゆくのです。



© Twin Planet



ギリシアのブルース「レベティコ」

 ゼイベキコを踊るときに歌われるのが、「レベティコ」という哀歌です。
 哀歌とは「エレジー」。語源は古代ギリシアの死の告別の詩「エレゴス」だそうです。レベティコは、古くは牢獄で生まれたと言われ、戦争や飢餓や迫害など、時代の悲劇の中から生まれてきたギリシアのブルースです。
 1900年初頭、ギリシアと隣国トルコとの間で、「住民交換」という大事件が起こります。宗教の違いを理由に、ある日突然住む土地を奪われ、200万人もの人々が強制的に追放されて、ギリシアの都市に難民として流れ着きます。そして、異文化が混じり合う港の盛り場で、人生の辛苦を歌った大衆歌「レベティコ」が生まれました。虐げられた人々の心の叫びであり、愛する人と離別しなければならない悲しみの歌。

© Peter Rakossy/Twin Planet



―そして、過酷な時代の波を越えて、多くの人々が移民として世界に向かったのですね。

「レベティコ」はもともと、ギリシアの楽器ブズーキで歌われたものですが、新大陸へ渡ったギリシア移民は、ブズーキをギターに変えてレベティコを歌い継ぎました。
現在ギリシアのテッサロニキを拠点に、ギターによるレベティコスタイルを継承するディミトリス・ミスタキディスは、移民達の苦悩や郷愁を歌った「AMERIKA」というアルバムをリリースしています。「あの人を連れ去ってしまったこの海を、私は憎む」という歌詞なんか、まるで日本の演歌のようで、深く心に染みる哀歌です。
 ディミトリスが仲間やレベティコのレジェンドを招いて開いた宴では、哀歌を皆で歌いながらも、男も女も両手を広げてゼイベキコ的なダンスを踊りながら、集う人々が心を交わし合い、心から笑っていました。悲しみを喜びへ変えていく、魔法の歌でもあるのだなと思いました。



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苦悩を生きる希望に変える「心の歌」

 悲しみから希望を生み出す歌といえば、忘れてはならないのがポルトガルの「ファド」です。
 ファドというのは「運命・宿命」という意味で、元を辿れば諸説ありますが、大航海時代に、ポルトガル人が植民地ブラジルに連れて行ったアフリカ人奴隷の悲しみの踊りが「ファド」と呼ばれていて、それがポルトガルに帰ってきたものという説もあります。リスボンの港の盛り場で生まれた、貧しく虐げられた大衆の中から生まれた歌です。
 リスボンのアルファマ地区やバイロ・アルトなどの下町には、カーサ・ドゥ・ファド(Casa do Fado)と呼ばれるライブハウス・レストランがあり、食事やお酒を楽しみながら深夜までファドを聴くことができます。ファドはポルトガルの心の歌ですから、我が町を讃える歌などになると、観客も参加して大合唱となることもあります。
また、ポルトガル中北部のコインブラでは、大学の男子学生たちがマントを纏い、愛しい人のために歌うセレナーデ的ファドもあります。
私がファドにハマった30年前頃は、かなり人生をかいくぐった貫禄ある年配の歌い手が渋い歌声を響かせていましたが、近年は世代を越えて若い感性でファドが育まれています。1984年生まれのカルミーニョ(Carminho)も、現代のファドを牽引する美しく才能溢れるファディスタです。



© Twin Planet



 もともとファドを歌う「ファディスタ」という呼び名には、ヤクザ、ならず者、売春婦という含みがあったそうです。伝説のファディスタと言われているマリア・セヴェーラは、もともと売春婦だったと言われています。彼女が亡くなった時は、町中が「あのセヴェーラが死んでしまった! 泣け、泣け!」と言って、みんなでファドを歌ったそうです。民衆の心の歌だったのでしょうね。
 もうひとり、アマリア・ロドリゲスという有名なファディスタがいます。『暗い艀(はしけ)』という映画に彼女が出演したことで、世界的にファドが注目されるようになりました。日本でいったら、「悲しい酒」を歌う美空ひばりさんみたいな存在でしょうか。
遠くへ行ってしまった愛しい人を待つ悲しみ、遥かな故郷への郷愁は、「サウダーデ」という言葉で表されます。懐かしさとか未練とか愛着とか、複雑な感情を秘めたサウダーデの感覚は、日本人なら違和感なく共感できるのではないでしょうか。

―メロディも歌の感じも、どこか演歌に通じるような気がします。

 ファドが大好きな理由は、悲しみを歌いながらも根底に希望が溢れ、歌を味わうことで、「よし、明日も頑張るぞ!」と不思議な力が湧いてくること。胸を張って頭をもたげて、遥かな海の向こうを見遣る強い意志を感じる。メソメソとただ泣き寝入りするのではない、逆境から果敢に立ち上がるバネがすごい。サウダーデに浸りながらも、前を向いて風を受けて進んでいくぞ!という気概に満ちている。
 ファディスタを影で支えるポルトガルギターも、奏でる者の人生の哀愁が漂い、切なく胸に迫ります。リズボンの坂道の裏路地で、更けゆく宵闇に流れるファドは、一晩中聴いていても決して飽きない、深い深い味わいです。
 最後に大好きなマリオ・バチェコのギターを聞きながら、私たちの人生の辛苦も、明日へと一歩を踏み出す力へと転換させていきましょう!



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 次回は、結束の歌。声を重ねて心を結ぶ男達のパワフルで繊細な歌声。舞台はジョージアとスペインのカディスです。



© Twin Planet

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LISTEN.初のアルバム”IN A QUIET PLACE”
(iTune Store、Spotify、amazon music、bandcamp アイコンをクリックしてください)
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